見出し画像

【ショートショート】書道家

 書道には、硯、筆、墨、紙が必要だが、この中でもっとも重要なのは筆でないかとおもう。少なくともオレの場合はそうだ。
「先生。先生」
 と鰻屋の主人が言う。
「ん、なんだ」
「ひとつ書をたまわりたいので。店名をいかがでしょうか」
「構わんぞ」
 とびきりうまい鰻重を食ったばかりのオレは機嫌がよかった。
 鞄から硯と墨汁と紙を、懐から筆を取り出した。筆にじっくりメニューを見せてやる。
 おもむろに「天龍」と書いた。
 書いたオレが驚いた。会心の一作だ。
 店主は喜んで、鰻代をただにしてくれた。これだけの書をもらうのだから当然だろう。
 オレはもともと義務教育の授業を除いて文字なんぞ書いたこともなかったのだが、あるとき、古びた文房具屋で一本の筆と出会った。
 筆には、馬、羊、狸などの動物の毛が使われるが、その筆には狸の毛が使われていた。というより、狸が化けた筆だったのである。
 妖気に敏感なオレは、それが怪しい筆であることにすぐ気づき、買い求めた。たしか1300円ほどだったと思う。
 この狸が、たいへんな書家だった。
 ただただ狸の行きたい方向に筆を運んでいくだけで、おそるべき書が書けてしまうのである。
「これはいける」
 と思ったオレは書家を名乗ることにした。
 日本美術展覧会で受賞して以来、次から次へと仕事が舞い込んできた。思ったとおりだ。
 オレは仕事場に行き、
「お狸様、ありがとうございます。今日もよろしくお願いします」
 と筆に向かって一礼し、紙に向かった。
 最近は「つねをの一日一読」という日めくりカレンダーを書き下ろす仕事をしている。
 つねをはおれの筆名である。
「柿の実が落ちた。食べる」
「ボーリング屋の角を右に」
「醤油ラーメンなぞ食わん」
「かわいい赤ん坊が来るぞ」
「仕事なぞにかまけおって」
「妻が右頬を殴れば耐える」
「一人でも猫がいれば安心」
 などと、いい加減な文言を手帖に書き飛ばしてある。なにを書いてもよいのだ。
 狸はふん、という様子で手帖を眺め、適当に文字を書き飛ばしていく。適当でもうまいものはうまいので、真面目にやれとは言えない。
 まあ、オレに文才などはないので、バカにされても当然だ。でも、これが売れちゃうんだよなあ。
 たまには、ちゃんとしたものも書かないと狸が拗ねてしまうので、本の装丁に使う題字なども引き受ける。書家狸は読書家でもあるので、作家をみる目も厳しい。最近は「おこぼれ村の蝶々殺人事件」がお気に入りで、何度も繰り返し書いている。
 反対に嫌いな作家の題字のときには、知らんふりをする。筆が動かないのだ。
 仕方ないので、オレが自分で書く。
 編集者が唖然とする。
「先生、これはあまりにも……」
 オレはギロっと目を向く。売れっ子のオレには、頭が上がらないのだろう。それ以上不満を口にもせず黙って帰っていく。オレは頭が痛い。頼むから、正常な判断を下して没にしてくれ。ところが、これが本になって流通してしまうのだな。
 オレは手帖に、
「好き嫌いで仕事をするな」
 と書き加えた。狸の筆がいやそうな表情をした。

(了)

目次

 

ここから先は

0字
このマガジンに含まれているショートショートは無料で読めます。

朗読用ショートショート

¥500 / 月 初月無料

平日にショートショートを1編ずつ追加していきます。無料です。ご支援いただける場合はご購読いただけると励みになります。 朗読会や音声配信サー…

この記事が参加している募集

眠れない夜に

新作旧作まとめて、毎日1編ずつ「朗読用ショートショート」マガジンに追加しています。朗読に使いたい方、どうぞよろしくお願いします。