見出し画像

人生は人との巡り合わせ (中学校時代)

お久しぶりです。初めての方は初めまして。
25歳。サッカー選手をしております。藤山雄生です。

ご覧いただきありがとうございます。初めての方は1つ目の投稿で自己紹介をしておりますので、時間がありましたら是非読んでいただけたらと思います。今回も前回に引き続き僕がどのような人間なのかを知ってもらうために自分が歩んできた過去について書いていこうと思います。今回は中学校時代について書いていきます。中学校は地元にある島原市立第一中学校に通っていました。卒業後は地元を離れ進学することになります。地元島原で過ごした最後の時間です。良かったらご覧ください。

「人生は人との巡り合わせ」

「これまでのそしてこれからの縁を大切に」


この言葉は中学校時代の担任の先生にいただいた言葉です。
人生にはたくさんの出会いそして別れがあります。関わる人とは何かの縁があって繋がっていくのだと思います。必然的にそうなる場合もありますが、自分の判断で行動した先に出会いや別れ、人との繋がりがあると思います。いま僕は北海道の札幌にいます。先日、BTOP北海道(サッカークラブ)への加入を選択したからです。札幌に来てまだ間もないですが、たくさんの人と知り合いました。僕が札幌に行くという選択をしなければ札幌で出会った人たちと出会わずにいまを過ごしている可能性が高い思います。また僕が札幌に行くことになったのもクラブの方とのご縁があったからです。このように自分の行動によって出会う人との巡り合わせが決まっていることが多く、またその行動には今までの人との繋がり'縁'が関係してくることが多いと思います。人生の中で出会う人たちには何か縁があると自分の人生を振り返ると改めて思います。だからこそ僕はその縁を大切にしています。またなるべく多くの人と出会い、縁を広げることも大切だと考えます。人それぞれに違った考えや価値観があります。いろんな考え方を知ることは自分の視野を広げることに繋がるはずです。



小学校を卒業して実家の近くにある島原市立第一中学校(以下一中)に僕は入学します。もちろん部活はサッカー部です。当時のサッカー部では髪型を坊主にするルールがあり、入学と同時に頭を丸め憧れていたサッカー部での活動が始まりました。1、2年生の時は試合にはあまり出れませんでした。前回のnoteでも書いたのですが、当時の一中は県内でもレベルが高い方でした。先輩方も上手な方が多くいろんなことを教えてもらいながら日々を過ごしていました。同級生で公式戦に出ている友達もいました。同級生の活躍を羨ましく見ていた記憶があります。中体連なので3年生は夏の大会で引退するのが毎年の流れでした。なので2年生の夏終わり頃から新チームになります。

新チームになり試合に出れるようになります。憧れていた先輩方と同じユニホームを着て試合に出れることに喜びを感じていました。新チームになると、まず冬に新人戦という大会があります。夏にある中総体とこの新人戦が大きな大会です。僕たち一中は島原市予選を勝ち抜き県大会の準決勝まで駒を進めます。準決勝の相手は長崎市の海星中学校でした。県内では有名な中学校です。試合は大差で敗れてしまいます。この時はかなり凹みました。相手が強いことは知っていましたが、自分たちに自信もあったしどこかでいけるのではと思っていたからです。しかし実際には何もできずにやられてしまいました。小学校の時と重なるところもあり、かなり悔しい気持ちで大会を終えることになります。この敗戦からもうこんな思いはしたくないとみんなが思いました。そこからの練習や試合にはそれまで以上に熱が入るようになります。

中学校年代にもリーグ戦があるのですが、僕たち一中は長崎県1部リーグに所属していました。長崎県では1番レベルの高いリーグです。小学校の時には歯が立たなかったクラブチームや、新人戦で敗れた海星中学校なども同じリーグに所属しておりました。このリーグ戦で揉まれながらどんどんチームがまとまっていきます。個人的にも監督、コーチの方々の指導のおかげで練習でやっていることや、言われたことが試合の中でもできるようになっていきます。試合を重ねることで自信もついていきました。そうしているうちに夏の中総体がやってきます。市予選、県大会を勝ち抜いて新人戦の時に敗れた県の準決勝まで駒を進めます。準決勝の相手はあの海星中学校です。今考えるとなめちゃくちゃできた展開ですね。新人戦のリベンジのチャンスが来たのです。結果は僕たち一中が勝利し、リベンジすることができました。この時はみんなで喜びあって最高でした。個人的にもこの試合では得点することもでき、リベンジもできて今までにないサッカーの喜びを感じることができました。決勝戦では敗れてしまいましたが、長崎県二位で九州大会に出場することになります。

九州大会でも予選を勝ち抜いて決勝トーナメントに進みます。決勝トーナメントに進んだ時点で8チームに絞られており、準々決勝に勝利すれば全国大会へ進むことができます。全国大会へあと一つのところまで進むことができました。準々決勝の相手は鹿児島県の神村学園でした。この試合はPK戦まで戦いましたが、敗れてしまいます。その後残りの全国大会への切符をかけて福岡県の筑陽学園と戦いますが、それにも敗れてしまい僕たちの九州大会は終わります。全国大会へ後1歩のところで敗れてしまい悔しさの残る大会でしたが、九州の強豪相手とギリギリの試合をすることで大きく成長した大会でもありました。また自分の可能性をもっと知りたい。高いレベルでチャレンジしたい。と強く思うようになったのです。



夏の大会、リーグ戦を終えて中学サッカーを引退し、僕は熊本県に行くことになります。熊本県にある大津高校に進学するためです。僕は中学校入学当初はここに行きたいみたいな高校は正直なくて、“地元にある高校に行けるくらい勉強はしておこう“そんな感じで進学については考えていました。しかし中学サッカーに打ち込んでいく過程で高校サッカーに興味を持ち始め、高いレベルに飛び込みたい、そう考えるようになります。家族ともたくさん話をしました。そして熊本にある熊本県立大津高等学校を志望校に決めました。大津高校で高校生活を送る。サッカーに打ち込む。そう決意しました。大津高校は県立の公立高校なので受験があります。県外からの受験の倍率がものすごく高いことや、普通科にも体育コースがあることなど、当時の担任の先生にも協力してもらって情報を集めました。そして僕は中学3年の秋に熊本に渡ります。そして無事に大津高校の受験に合格することができ、入学することになります。先生方や両親などたくさんの方のおかげで進学することができました。その恩を結果で返せるように、そして自分の可能性を知るために熊本という初めての土地での生活が始まります。

憧れていた中学校でたくさんのことを学び、サッカーの魅力をさらに深く感じながら過ごした中学校時代でした。そして地元を離れチャレンジする。そう決意させてくれたのもこの中学校時代のおかげです。最初に紹介した言葉「人生は人との巡り合わせ」は僕が熊本に行く際にかけていただいた言葉です。新しい環境に行く時にはいつもこの言葉を思い出します。人との巡り合わせには縁があり意味がある。そう考えると、出会う人のことを考え、大切にすることができます。全ての出会いに意味があり、たくさんの人に支えられながらいまを生きている。この言葉はそんなことを教えてくれました。言葉というのはその時その時で感じ方が変わります。当時の自分と今の自分では同じ言葉でも捉え方が全然違います。noteを書き始めたおかげで気づくことができました。これからも色んなことに気づいていけたらなと思います。ここまで読んでいただきありがとうございました。次回もお楽しみに。



この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?