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変な話『名もなき人間の話』

 僕の両親は、優柔不断であった。全く物事を決めることが出来なかった。

 若かった母は、何に対しても「えーかーわーいいー」と返した。

 父は、うんちく王であった。何に対してもうんちくを付け足して返した。

 そんな二人の恋は、街外れの小さな喫茶店から始まった。その喫茶店は、昔ながらの古い喫茶店だった。各テーブルに角砂糖が備え付けられており、初めてその喫茶店へ訪れた母は、角砂糖を見つけ、あまりのキューブの可愛さにはしゃいでいたそうだ。

 常連だった父は、そんな母に話しかけたのだった。
「砂糖は元々、硬い円錐形や塊状でして、大きい物では一メートル以上あったりしたんです。必要に応じてハンマーで砕いて使用していたんですけど、製糖所社長のヤコブの妻が、砂糖を砕いていた拍子に手を怪我してしまったんです。そこでより安全で、使いやすい砂糖の製造をヤコブは発明したんです。それがこのキューブ状の砂糖なんです。」

 父は、低い鼻頭に不釣り合いな大きいメガネをずり落ちないように何度も直し、そんな矢継ぎ早に語り出した父を見た母は「えーかわいいー」と目をキラキラさせたそうだ。

 母がメニューを広げ悩んでいる間も父はうんちくを続けた。
「ウィンナーコーヒーの由来は、オーストリアの首都ウィーンから名付けられました。しかし、オーストリアには、ウィンナーコーヒーなるものはありません」

 そうして二人は恋に落ちた。

 先述した通り、二人は優柔不断であった。何に対しても「えーかーわーいいー」と返したり、うんちくを付け足す癖は、優柔不断な二人が決定権を持たないために、自ら見つけ出したコミュニケーションの方法であった。

 二人の結婚も、十年の交際の末、周りの後押しがあり夫婦となった。決める事を除けば、二人は最高の夫婦である。

 数年後、産まれたのが僕だ。自分で言うのも恥ずかしいが、僕は二人に愛されて育った。父の博識と母の愛情は僕を立派な大人へと成長させた。両親は僕のやりたい様に生かしてくれたし、望んだものは何でもくれた。ところが僕が産まれた時、両親は大きな失敗を犯した。

 二人の優柔不断さから、僕の名前を名付け損なってしまったのだ。

 僕は人間である、なのに名はまだ無い。

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