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インターネットで一目惚れ。〜ラブレターは何処へ行く〜

「ギターのFが弾けない」

あなたがギター経験者なら、もしかしたら同じ経験をしたことがあるかもしれない。

F、とはFコード、和音であり……まあ難しいことは置いておき、ギターは6本の弦を5本の指で押さえる。正確には、親指以外の4本。
それだけで難しそうな事だが、ギター初心者が最初につまづくコードは「Fコード」のことが多いのだ。なんでも、人差し指1本で6本の弦を全て押さえる。聞いただけで訳が分からない話。

そんなハチャメチャなコードを、ギター初心者はやらねばならない。Fコードが押さえられないため、Fコードが出てこない曲ばかり弾いていたのは私だけではないと信じたいところだが。

5年前。
私は、ギターの練習もせずにiPod touchでアプリをポチポチしていた。人と話すのが好きで、普段出会わないような人とインターネット上で交流することにも興味があった。
が、当時中学3年生だった私は「スマホは高校生までだめ」と言われており、もちろんTwitterやLINEなどのSNSも禁止されていた。

現代、友だち同士の遊びの約束は基本LINEで行われており、LINEアカウントを持っていない私はいつの間にか友達の輪に入りにくくなった気がした。話している話題も、Twitterのあのアカウントがどう、とか、このスマホゲームがどう、とか。完璧についていけなくなった。
別に学校には行っていないし、唯一時々行っていた美術部の部活で話が合わなくたって。別に。別に。

明らかに私は強がっていた。それでも、言わなかった。たとえ言っても、口答えと見なされるだろう。家族なんて。別に。別に。

虚勢を張った、ハリボテの私は寂しさの隙間を埋めたかった。そんな夜、iPod touchをいつも通り見ていた。SNSどころか、写真加工アプリを入れただけで怒られた。ただ、彩度を上げて、曇った空を青くしたかっただけだったのに。

AppStoreを適当に流し見してた時。
もしかして。これなら。
私が見つけたアプリ、それはあるボトルメッセージアプリだった。
ボトルメッセージアプリ。それは、Twitterのように、呟いた一人言がランダムに知らない人のところへ届く。それを見て、なにか感じることがあったらリアクションやお返事を送ることが出来るというアプリの種類だ。

実の所、この手のアプリは何個か入れたことがあった。1個目に入れたのは明らかに怪しい、出会い系もどきみたいなアプリだった。それでも少しやっていた。だが、いつの間にか飽きてやめた。
そんな怪しいアプリとは対照的に、見つけたアプリはLINEなどの連絡先を交換するのを禁止している、ホワイトなアプリだった。
LINEのアカウントを持っていない私には関係の無い話だったので、すかさずダウンロードした。
バレたら写真加工アプリよりも怒られるだろうが、もうそんなことはどうでも良かった。寂しさと苦しさを埋めたかった。幸せになりたかったのかもしれない。

早速アプリを開き、のんびりしたアコースティックギターの音色に乗せてみんなの呟きを読む。
そんな時、こんな呟きが流れてきた。

「ギターのFが弾けない」

そうこれ。冒頭のこれ。私はFコードなど対して練習もしていないくせに、共感してしまった。共感ゆえ、お返事を書きたくなったが緊張で手が震える。今から知らない人にメッセージを送る。
そのFが弾けない方のプロフィール欄にはシンプルな自己紹介が書いてあった。身長と、大学生なことと、年齢。最後に「よろしくな」と書いてあった。
こんな私がメッセージを送ってもいいのだろうか?その心配が、共感を超えたなにか大きな衝動に飲み込まれて、勇気を出してメッセージを送った。


数分後。返事が来た。
最近はお互いギターの練習どころかギターを触ってもいないということで、毎日手入れだけでもするのはどうか、という話しになった。
ギターの報告をしているうちに、話題は日常のことから好きな音楽のこと、趣味のことなどたくさんの方向に向いていった。

Fが弾けない彼、Fさんとしようか。Fさんは「今日は何の日」というコーナーを毎日送ってくれた。新聞に載っている、何年前の今日は何が起こったとか、何ができた、とか。それについて、どう思ったか、どう感じたか、を私とFさんの2人で議論する。
いつしか、私たちは長文でやり取りするようになった。今日あった楽しかったこと。悲しかったこと。
交換日記をしている気分だった。
どうでもよかった、別に、と思っていた毎日が、色づいていく。Fさんは、私が見る世界に色をつけてしまった。いや、Fさんが私にとっての色だった。

そんな日々が1年ほど続いたある日。
彼は国家資格を取るための試験勉強を理由に、居なくなってしまった。

試験前、最後のやり取りの結びの文章はこうだった。

「いつかまたどこかで」


私は思った。いつかまたどこかで、なんて。もうここには戻ってこないつもりみたいな言葉。
いつか、を信じて生きれるほどその時の私は強くなかった。酷く落胆した。もちろんFさんの未来を応援する気持ちはあったが、彼は本当に私の心の支えだった。

Fさんは、「ただ」が口癖だった。「でも」や「しかし」ではない。私の意見を真っ直ぐに受け止め、時には共感し、時には「ただ」と彼なりの意見を伝えてくれた。

私はFさんが居なくなったあとに嘆きの呟きを流した。すると、時々お返事をくれる女性がこうい言った。「縁があれば、きっとまた話せます」


高校の入学が決まったあたりのことだ。今から約5年前。
ピカピカのスマホを手に入れて、TwitterもLINEもInstagramも入れたスマホ。そんなスマホには、あのボトルメッセージアプリ。iPod touchから引き継ぎをして、消せずにいた。縁をどこかで信じていた。

スマホを起動させると、ボトルメッセージアプリからの通知。内容は、Fさんからの連絡が来たことを表すもの。


私の感情は爆発した。本当にまた話せる。
急いでアプリを起動した。

彼からのメッセージにはこう書いてあった。
「無事合格し、看護師になることになりました」と。
聞けば、彼は精神病棟の看護師になるらしい。
嬉しかった。Fさんが合格したこと。そして私のことを忘れずにお返事をくれたこと。
縁、はあったのである。

私は伝えた。あなたと話した時間が宝物だったこと、居なくなったあと時々あなたの事を思い出したこと、嘆きの呟きと「縁があればまた話せる」と言われたこと、そして何より今あなたと話せて幸せなこと。

彼は言う。僕も結構思い出していましたよ、メガネを見る度に特にね。
私、藤田めがねは名前に「めがね」を入れてしまうほどメガネが好きだ。私自身はメガネをかけていないが、たくさんのメガネの形にとても惹かれる。特にスクエアが好きなのだ。
Fさんは就職祝いにFさんのお父さんから「999.9」のメガネを買ってもらったらしい。そんな高価なものじゃなくてもいい、と伝えたそうだが、せっかくだからいいものをお父さんに言われたという。
その時、ふと私のことを思い出し、私が猛プッシュしていたスクエアのフレームのメガネを選んだそう。

Fさんは音楽が好きで、たまに音楽について話した。
あいみょんのライブに行ったと教えてくれたこともあった。あの時はまだ、あいみょんは今ほど売れていなかった。


Fさんと私は再会を果たしてから、毎日では無いものの不定期に連絡を取り合っていた。Fさんは、「今日は何の日」の代わりに、「今日の一枚」というコーナーを始めた。その日に撮った写真を送ってくれるというもの。
そして、Fさんは絵を描くようになった。絵を描いては見せていた私の影響もあるのかもしれない。
彼が初めてデジタルで描いた絵は、私の絵だった。私の顔は見せたことがないものの、真ん中に私が居て、その周りに私が好きなサメやぬいぐるみ、メガネがたくさんの素敵な絵だった。
2枚目に描いた絵は、家に迷い込んできたというコザクラインコの絵だった。2枚目とは思えないとても美しい絵だった。1枚目よりも遥かに上手くなっていた。練習したのかもしれない。
ちなみにコザクラインコの飼い主は無事見つかったそうだ。


Fさんとは時々連絡を取っていたのだが、高校が楽しくなるにつれて高校の友達が優先になっていった。

いつしか、私はFさんと連絡を取らなくなった。

高校1年生の夏。またしても学校に行けなくなった私はふとFさんのことを思い出した。いや、本当は学校に行っている間もFさんのことは忘れていなかった。
存在は小さくなりはしたが、彼が頭から消えたことは無い。高校でのことをもっとFさんに伝えたかった。
けれど、彼氏が出来たことはFさんに教えたくなかった。

アプリを開き、Fさんにメッセージを送る。
「お返事が遅くなってしまい、すみません。
あなたと過ごした日々は本当に大切で、幸せなものでした。わがままで自分勝手だけれど、もし願いが叶うのならば、またあなたとまた話がしたいです。」
そこに高校での出来事や彼氏が出来て別れたことは書かなかった。


Fさんから返事が来た。
自分も嘆きのメッセージ流しちゃいそうでしたよ、と前の私のエピソードと合わせながら。
もちろん話しましょう。と続いていて、また私たちはやり取りを始めた。


少し経ったある日、仕事が忙しくなってきたFさんから「LINEを交換しないか」と提案された。そのアプリでは写真を送ってから24時間すると消えてしまう仕様で、それに困ったらしい。
私もLINEを交換することに賛成だった。しかし、このアプリの規約を思い出して欲しい。LINEを交換することは禁止されているのだ。出会い目的にならない為らしい。
そのため、私はTwitterで繋がることを提案した。
それから暫くFさんからの連絡が来なくなった。
LINE交換を持ちかけたことにより、Fさんのアカウントが凍結されてしまったのではないかと私は考えた。

3年前の1月。
完璧に凍結されたことを悟った私は、Fさんへの本音をぶつけることにした。

彼のことを信頼していたし、尊敬していた。
特別だった。


当時は特別な異性=恋愛感情だと思っていたため、告白の文章を書いた。その文章の特徴としては、「好き」とは書いていても、「付き合いたい」とは書いていない。
私は未だにFさんへの感情が何なのか分かっていない。恋愛というチープな枠にはめるには大きすぎる。この感情は。

結びの文は、こうだ。
「さようならは言いません。言いたくありません。
またいつか会えることを願って。
ありがとう。」

その年の9月頃。久々にアプリを見てみるとFさんのアイコンが変わっていた。よりによって、私がおすすめした蓄光のフィギュア、スミスキー。Fさんがスミスキーを買ってくれたのは彼の話で知っていた。だけど、このタイミングでそのアイコン。もうよくわからなかった。

あの文章を読んだのか、読んでいないのかは分からない。
なぜなら、返事は返ってきていないからである。
返事のない画面は虚しい。だが、同時に安心さえ感じる。
恋愛なのか分からない状態で告白したことに対して、なにか返事が返ってきたら怖いから。
その後、メッセージを少し送ってみたが、返事はなかった。


なんでこんな思い出話を急に、そして第1回目のnoteに書いたのか。理由を問われても、ぱっと思いつく答えがない。何となく、なんだろう。

今年、私は20歳になる。成人年齢が18歳に下げられたといえ、私の中で20歳は節目であり、覚悟をする必要がある気がする。
いつまでも、Fさんを追い続ける日々が続かないことも分かっている。
いつかは諦めなければいけないこと。透き通ったガラス細工まではいかずとも、ビー玉ように綺麗な思い出になること。思い出にしなければいけないこと。

それでも、まだ私はあなたの幸せを祈れない。あなたとだれかの幸せを祈れない。
あなたとの幸せ、あなたと私の幸せを祈ってしまう。
そんな私はまだ子どもなんだと思う。20歳になるからって、急に大人になるはずなんか無かった。
私は私だった。

最後に。

Fさん、あなたにレジンを教えたら、敬老の日に早速Fさんのおじいさんとおばあさんにイラスト入りのレジンを作ってくれたこと。忘れられません。
うわべだけで「今度やってみる」と言うことは簡単です。私は友達ともあなたとも、口だけで約束して、出来なかったこと沢山あります。
そんな中、私の好きなことをすぐ実行するあなたが眩しかった。

私はもう、とっくにギターのFは弾けるようになりました。あなたはまだギターを弾いていますか?

そして、私はあなたと連絡が取れなくなった年に、別の理由で奇しくも精神病棟に入院しました。
精神病棟での看護師さんの立ち回りを見て、あなたも疲れていないかすこし心配になりました。

Fさんは世界の色を教えてくれた。ただ、Fさんが居なくなった世界は色がつく前よりも寂しいものに感じます。それはきっと、モノクロがカラーになって、それが色褪せたから。

Fさん、あなたにたくさんの幸せが訪れますように。
あなたならもう、幸せを掴んでいそうだけど、あなたを愛した者としてすこしだけ。
そんなあなたの頭の隅の隅、スミスキーが住み着くくらいの隅っこに、私が居たならば。

今思えば、Fさんに最初のメッセージを送る時、不安をも飲み込んだあの大きな感情。メッセージを送ってしまえ、としたあの感情。あれは一目惚れだったのかもしれない。

顔も名前も、声も、なにもかもしらない人に一目惚れした話。


この物語はノンフィクションです!
藤田めがねの自己紹介として書きました。

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