藤巻佐有梨 | atelier fujirooll
fujiroollが描いた絵を使ったエッセイ
2021年、絵を中心とした活動をするためにフリーランスになってから半年が経過しました。すこしずつ実績が出来てきたので、私の仕事について紹介したいと思います。 最後にご依頼方法なども書いてありますのでお力になれることがあれば、是非ご相談ください。 ✏︎ 2021.09 追加修正 1、atelier fujirooll について勤めていた会社を退職後、京都に移住して屋号としたのがatelier fujiroollです。 この家に名前をつけるとしたら、アトリエだなあと思いま
毎度久しぶりになるnoteでやんす。 もっとラフな感じで文章残したいです 歯痛で寝れなくて起きてしまってる、昔から私はすぐ虫歯になる。毎日歯磨きしてるのに。 私という人間は、今まで描いていた絵と全く違くって 絵は鏡であるはずなのに、どうしても綺麗にまとまってしまう気がしていて 上手く描けない日々が続いていた。けどそれもちょっと抜け出せそうな兆しがある。 純粋にまた描くを楽しめているきがする。 ゴミだって溜めるし、掃除はほとんどしない、自炊も雑 本当に仲良い人同士とは下ネタ
個展を前にして眠れず気持ちが昂ぶってきたので、少しお話をさせてください。優しく読んでもらえたら嬉しいです。 きっと記憶はいいものばかりではない。今を生きているひとは、苦しかったり苦しい以上の何もない暗闇をさまよったりしたことが多かれ少なかれあると思っています。 私も心に病をかかえながら、泣きながら働けない自分には生きる価値がないと思っていた時もありました。 記憶とブルーというシリーズは、すごくシンプルに頭の中にのこっている私の忘れたくない風景を描きたいという思いから描き始
衝動的な文章です 音楽を作ってる夫の友人と夜な夜な話をしていて その人が音楽で人を殺めたいと言っていて めっちゃ笑って(馬鹿にした笑いではないです 凄くいいね!それ!ってなりました 音楽でかましてやりたいって心意気に打たれました。 目から鱗でした。 私は絵を描いて社会にかましてぇオメェら見てろよという 考え方はなくはないけど 積極的な攻撃的な考えはもってなかったと思いました。 私が絵を描くことは、受け身で身動きとれなくなったけど なんとか自分の癒しとして描いていたことに気
補足すると、多分このウキウキはとっても儚いウキウキなので明日の朝にはズーンとなっているかもしれないです…笑 でも元気に絵を描きたいと思います。
お久しぶりです!ポツポツ言葉を落としていく場所がここです。相変わらず文章があちこちいって、ちょっと読みづらいかもしれません。加えてとってもマイペースですがよかったら読んでください。 何のために絵を描いてるか、って定期的に考えてしまうのが絵を生業にしてるからなのかサガみたいなところがあって。 はじまりは、私の一番心が込められる方法が言葉や音楽よりは絵を描くことで 学生時代は誰かに見せるわけでもなく絵日記みたいに毎日絵を描いていました。 大学院で勇気を出して絵を見せた時に、絵
ここ1年以上、絵を描いていてもなんだか 心がぽっかり満たされない感覚がありました。 それがなんか抜け出せた気がするのが記憶とブルーという個展でした。 描きたいのに何かが違う、もちろんどの個展でも仕事でも描くことに全力を注いではいましたが、その何かが全然わかりませんでした。もしかしたら何かを作り出す人はこういう感覚にいつか陥るのかもしれない、と先人たちの作品集を買っては眺める日々が続きました。 そんな日々を脱却するため、久しぶりにインスタライブでポストカードを描いてみた。絵
Twitterをおやすみ宣言なようなことをしました。 色んな言葉や情報に気持ちが左右されてしまうことが多くて、色んな気持ちがことばで飛び交うTwitterがやっぱりダメなんだと思いました。 わたしは敏感すぎるのだ。 今年は自分の心や目を黙々と大事に養っていきたいとおもいます。 スケッチブック片手に自分だけが知っていることを増やしていきたいとおもうんだ。 短い日記です、このへんで。 今年もたくさんの作品が届けられますように。 今年もよろしくお願い致します。
イラストレーター・画家として活動をはじめてふと、中学生の頃の自分が将来の夢「イラストレーター・絵本作家」と書いたことを思い出しました。 とすると、わたしの夢は今ほぼ叶っていることになる。 夢を叶えたなんて、思っていませんでした。まだ叶えてないとすら思っています。が、客観的に見ても、絵で仕事して食べてるのだから、間違いなくイラストレーターだ、という自覚が最近やっと芽生え始めました。 そんなイラストレーターになる。という夢は大学進学をめざすころにはすっかり心のどこか奥の方に行
とくにまとまってないですが、イラストの仕事の話をします。 私が絵が生きていく糧になると思ったきっかけは 大学院卒業の時に助手の方から建築パースを描いてほしいと言われたことでした。 自分が好きなことで誰かに必要とされ、喜んでもらえるということは本当に嬉しいことでした。 そのまま就職先の企業で働いていたけれど、もともと絵が好きだったのでイラストは描き続けていました。 どんなにモヤモヤしていても帰った絵を描いたらいつも救われる気持ちになって、これが仕事になったらどんなにいいだろう
・個展前、個展中、個展後と仕事が立て続けにあって目が回りそうだったのがやっと落ち着きはじめる。落ち着いたといえど1月に個展があるのでウカウカしてられない。画集も出すことを考えたら12月頭には作品をまとめたい。 ・個展のテーマを考えていた。姉妹がいいなとパッと思い浮かんだ。姉妹じゃなくても姉妹のような心の通じ合う友達がいて、是非そんな繋がりをかきたいと思っている。 ・海外から仕事が来て、少し、だいぶ嬉しい。英語がテンション高めで脳内再生されて、勝手にとても楽しい。本当のニュ
個展「それでも今日も、」が終了しました。お越しいただいた方も、遠くから見守っていただいた方も本当にありがとうございました。 ヒロセーヌパドルの皆様も、スタッフをしてくださった皆様も本当にありがとうございました。 パンを題材にしたことで今まで以上に、生活に目を向けた作品になったかなと思っています。 生きるために描くって結構大袈裟だけど、でもあながち遠くはないなと思っています。個展に来ていただいた方で、私がしばらく建築やっていたことを簡単には辞めれらなかっただろうことまで思考を
何をしてもソワソワしてしまうので何かをかく、SNSにはセンセーショナルな内容が飛び交い、心臓がばくばくしてしまう。幸い、インスタをフォローしてるひとたちは写真をあげるようなことをしていない。よかったと思う。大切なひとをハグして寝たいとおもう。
その分、Instagramは私の絵しか載らないので、それ前提で見てくれる人がフォローしてくれてるので気がとても楽です。見てくれてる方ありがとう〜
いままで病気の名前は書いたことがなかったけれど 病が良くなった人のひとりとして何か書けることがあればと思いnoteを書いてみます。 社会人2年目、私は適応障害になりました。 原因は色々あったと思いますが、もう良くなったし これについてはあまり細かく書くつもりはありません。 あくまで良くなっていった過程をつらつらと書き残したいと思います。 ただ、良くなった一個人の体験談ですので途中で読むのが辛くなったりしたらそっと閉じてください。もしだれかにとって何かの助けになれたら嬉しい