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記憶とブルーについて


ここ1年以上、絵を描いていてもなんだか
心がぽっかり満たされない感覚がありました。
それがなんか抜け出せた気がするのが記憶とブルーという個展でした。

描きたいのに何かが違う、もちろんどの個展でも仕事でも描くことに全力を注いではいましたが、その何かが全然わかりませんでした。もしかしたら何かを作り出す人はこういう感覚にいつか陥るのかもしれない、と先人たちの作品集を買っては眺める日々が続きました。

そんな日々を脱却するため、久しぶりにインスタライブでポストカードを描いてみた。絵描きとして独立するまで、私はポストカードに絵を描きつづけていたので初心に帰れるかなという期待も込めて。
私は人の横顔を描くのが好きで、とりあえず好きなものを描こうと思った。横顔のスカーフをまとっている人の柄を描いていたとき、それが風景にみえた。これだ!と思った瞬間だった。
(描けない日々を脱するには、それでも描くしかないということがこの時分かったのでした。)

人の表情も、その人が感じ取る風景も、全て凝縮して描けるなんてこんな喜ばしいことはありませんでした。もうこれでたくさん描くしかない、そう思いました。
それもこの個展の1ヶ月ちょっと前くらいの話で、いそいそと作品作りに励んで今浮かぶ私の今までの記憶を詰め込みました。全然DMができなくてギャラリーの方には心配をおかけしてしまっていました…ですがその時の私はとても清々しい気持ちがしていました。モヤモヤが晴れた。

ここであらためて、しつこいくらい青い絵を描いてきたことに立ち返ってみた。べつに赤でもオレンジでも緑でもいいじゃないか、カラフルでもいいとすら、私は思っています。でもたまたまやっぱり青が好きで、強いていうならビビットな青というより少し落ち着いた、藍色がすき。
記憶を辿って頭に残っている景色を掘り起こしてみると、私の中には故郷の山梨の折り重なった山々が空気の向こうにいくにつれて薄く青みがかっている風景や、フィンランドで見た森と湖、京都の鴨川沿いでの生活、今の青々とした琵琶湖を背景にした生活、つまり青とともにある生活たちだった。こじつけでもなんでもなく、そこには必ず青が出てくる。空の青、水の青、わざわざ外に出なくても感じるものは窓から見える青、窓の外をみなくても(生々しい生活感ではありますが)お風呂の水も溜めたら青くなる。私は青に取り憑かれてるのかもしれないと思いました。

今まで幾度となく、なぜ青なのですかと質問をいただいてもうまく言葉にできませんでした。ただ、その記憶を辿ると間違いなく私にとって青は特別なことがわかりました。それで十分だ、と私の中で答えが出ました。

記憶というのは、都合がよく、私が思い浮かべたのは先ほど挙げた自然とともにある風景ばかりだった。私はあまり都市の絵はかかない。というのも逃げてくるように東京から京都に来た私にとって、都心は大変だったあのころの自分の記憶が詰まっているからだ。もしかしたらもう少し経ったら描きたくなるかもしれないけれど。とにかく筆の進む方向へ描き進めました。


個展に来ていただいた方と沢山お話をさせていただいて、自分の記憶を沢山話をしました。十分説明してきたところで、ところであなたは?みたいな気持ちになっていった。
いつも感想をいただく方に、私がこの先とっておきたい記憶は…とメッセージをいただいた時に、これまたこれだ!と思った。そういうわけで私は誰かの記憶を描きたいと思いました。

(これは私の中で初めての壮大で小さなプロジェクトとなったので、良かったらご協力お願いいたします。)

今まで同じ構図を描き続けることに不安があって、新しい自分を見せないと、みたいな変な焦りがあったのですが心を落ち着かせて、気が済むまでこれを描き続けたいと思います。
あなたにとっての大事な記憶、よかったら描かせてください。

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あまり簡潔に書けなかったけど、自分のメモには十分かな。これを結びとして、この話はひとまず、ここで。

藤巻

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