ささやかな時間
声高にあえて口にすることは憚られるのだけれど
"自分のことは、後に・・・"という思いはかねてから長らく
心の片隅にある。
古い歌。昭和の歌。おそらくわざわざ書き連ねる必要もないだろう。
あの長らく愛され続けている唄、あの唄の歌詞のように。
小さな子供との時間。それはあまりにも儚く短い。
あっという間に大きくなる。またもちろんそうなってもらわなくては
困るのである。
人を労う、そのような感情を、こんなにも幼少の身でも
既に持ち合わせていることに、いちいち驚いたりしている。
心ひそかに、いいぞ! いいぞ! と思ったりしながら。
私の忙しさはもうあまりにもこの身に板につきすぎていて
今更時間を惜しんだり慌てたところで、何ら変わることなど
ありはしない。
だからというわけではないけれど、今しか味わうことのできない
幼子とのふれあいの時間は出来うる限り優先をしようと思っている。
どうやら「あそんでくれて、ありがとう。」
という手紙を私宛に書こうかという言葉を発していたらしい。
遊ぶ、そうだ遊んでいるのだ、まちがいなく。
それでいいと、いやいや、それがいいと、そう思っている。
遊んでやっているのではない、遊んでいる、のだ。