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上司ガチャを考える

最近はいろいろな種類のガチャガチャが叫ばれているようです。日経総合研究所のオンライン記事で「「上司ガチャ」外れ強制出社 若手が嘆く不公平」というのを見かけました。「上司ガチャ」という言葉も出てきたようです。同記事の一部を抜粋してみます。

~~「部署や上司によって方針に差別があり、不公平感がある」。製造業で働く富山県在住の会社員は、テレワーク可能な仕事にもかかわらず出社を強いられているという。

個別に寄せられた自由意見に目を向けると、ある問題がみえてくる。部署間の不公平さだ。会社全体としてはテレワークを認めているにもかかわらず、特定の部署や上司が「うちの部署は在宅NG」といったローカルルールを設けるケースである。その部署の若手からすれば「別の部署で働く同期社員はテレワークOKなのに、なぜ自分だけが」といった不満を感じやすい。

中堅企業の経営企画部門に所属する都内在住の40代会社員は「上司の考え方の違いから、部門によってテレワークのしやすさが異なる」と明かす。「出社している方が偉い、在宅の方が楽をしているとみる上司が存在する」と続ける。特定の上司に当たると在宅勤務しにくくなるとの見方だ。

「上司が対面で部下の顔を見ないとマネジメントできないと思っている」と、管理能力を問題視する声もあった。一方、若手たちはチャットやウェブ会議などIT(情報技術)ツールを使いこなして効率よく働いており、出社は週1日程度で十分と感じている。

上司や企業にも言い分はあるだろう。職場によっては出社を避けられない仕事があるだろうし、部署固有の事情もあって当然だ。手当や制度を様々な観点から完全に平等にするのは難しい。でも、やる気のある社員が「不公平だ」と感じるようでは、せっかくの働き方改革のはずが、結果として働きにくさや効率低下につながってしまう恐れがある。

部長以上のテレワーク利用率が平均より12.2ポイント低い。役職の高い人が出社すると、「自分も出社しなければ」と無言の圧力に感じる人も出てくるだろう。~~

当たった上司がどんな上司かわからない・選べないというのを、ガチャで表現しているのでしょう。

上記からは、上司・部下の関係性で対話が必要であることを、改めて感じます。テレワークがよいか会社拠点への出社がよいかは、各社が試行錯誤していることです。また、この問いに決まった正解もありません。そのうえで、自組織としてどういう方針なのか、なぜそれが必要か、どんな効果があるのか、WHY=そうする目的の説明が重要になってきます。同記事の例ではいずれも、WHYが共有できていません。あるいは、それ以前にWHYが考えられていません。

同記事ではテレワークがテーマになっていますが、このことはテレワークに限りません。日常の業務で発生する様々なテーマすべてに当てはまるはずです。

また、部下の立場の側に関しては、上司ガチャに向き合ううえで必要なポイントを3つ考えてみました。

1.理想の上司・完璧な上司は存在しない

どんな人にも長所短所、強み弱み、期待できることとできないこと(限界)があります。短所や弱みを嘆いていてもあまり生産的ではありません。上司の長所や強みを引き出して、ある意味自分のために活用することを考えたほうが生産的です。

2.どんな上司からでも学べる、上司になっている理由がある

会社組織も馬鹿ではありませんので、ルーレットを回して適当に管理職を決めてはいません。例えば次のように、必ず何らかの理由があります。

卓越した成果を上げた
いろいろな人に尊敬される仁徳を兼ね備えている
強いリーダーシップを発揮して周囲を引っ張ることが得意
ミスなく無難に仕事をこなしてきた
社長に気に入られている

「社長に気に入られている」も、その人の行動特性を発揮した結果です。今組織を取り巻く環境下で、この要因だけをもってして管理職を続けてもらう理由にするのは、不適切かもしれません。しかし例えば、会社が安定して伸びていた、社長に寄り添って組織内の雑音を増やさない状況をつくることが優先課題だった、その状況下で社長の精神的コンディションづくりに貢献した、ということなら、管理職にした当時は適切だったという可能性があります。

どんな理由がその人を上司にさせたのかを考えて、学ぼうとする視点を持つことは、部下にとって生産的だと思います。

3.上司ガチャがあるなら、部下ガチャもある

上司ガチャを叫ぶのもよいですがそれと同時に、上司にとって、自分はどれぐらい理想に近い部下なのか、振り返ってみる必要もあると思います。案外、上司は上司で部下ガチャに不満を持っていて、お互い様ということもあるかもしれません。

いずれにしても、これからは部下のほうからも上司に対話を求めていく行動が、これまで以上に求められると思います。「心理的安全性」が各所で叫ばれています。このことについてのひとつの見方としては、「部下が思った意見や感じた気持ちを、安心して上申する環境づくり」と言うことができます。変化の激しい環境下で、衆知を集めて生産的な組織をつくっていくために、「心理的安全性」が浸透し意欲的に意見を吸い上げる風土が必要だということです。

よって、「心理的安全性」を掲げているような会社なら、部下から「あなたや会社の考えるWHYをもっと知りたい」と対話を申し込むことができるはずです。もしそうした申し出すらできない状況であれば、別のことを考えたほうがよいかもしれませんが。

他方、上司の側としては、会社方針として決められたことと違うことを、自身の価値観や判断で勝手にルール化するのはいただけません。同記事のように、ある上司は会社方針に反してローカルルールをつくる、ということが横行すれば、それに対して部下が不満を持つのは当然です。もし上司なりに自部署の組織環境を客観的に判断して、こうすべきはずだという信念でローカルルールをつくるならば、自身の上司や部下に対してそのWHYを丁寧に説明・浸透する義務があります。

転職市場の発達した文化圏では、部下受けしない上司のところにいる部下は容易に辞めていきます。日本でもそうした傾向は広まっています。「上司の非合理的な指示にも社員は盲目的に我慢する存在」といった考え方は、今後はより通用しないでしょう。

なお、個人的な価値観でテレワークを認めないのはよい上司でないのは当然ながら、テレワークを認めるのがよい上司というわけでもありません。論点は、お客さまや社員に対する付加価値、組織の生産性を上げるためにどちらがよいのか、という観点を徹底するべきです。

<まとめ>
上司もガチャなら、部下もガチャ。


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