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エビちゃんとアイちゃん

先日、ある企業様の幹部会議に参加する機会がありました。そのとき耳にした問いかけのひとつが、「それはアイデアとしては面白いが、確度を説明するエビデンスがあるのか?」でした。これに類する問いかけは、様々な組織の様々な場面で聞く機会があると思います。

Weblio辞書によると、エビデンスの意味について次のように説明されています。-「証拠」「裏付け」「科学的根拠」あるいは「形跡」といった意味で用いられる語

ある仮説や主張を訴えるにあたって、その根拠を説明できるデータや論理、と言い換えることもできるでしょう。企業の経営資源は、一昔前まで「ヒト・モノ・カネ」と言われていました。しかし、今では「ヒト・モノ・カネ・情報」と言われることが増えています。データの世紀ともいわれ、AIや様々なテックが造語となる環境下では、膨大な情報量からエビデンスを導き出し活用することが、組織や個人の戦略上不可欠でしょう。

一方で、物事の意志決定をエビデンスに依存しすぎることも考えものです。なぜなら、エビデンスには限界があるからです。その限界について、ここでは3つ考えてみます。

ひとつは、エビデンスは過去の出来事を説明しているにすぎないことです。言い換えると、これから起こる未来の出来事については、その確かさを説明してくれません。

例えば、ある企業A社が○○の新商品を開発してヒットした。そのヒットの理由を、「・・の市場分析の結果・・の点で有望だと結論付け、・・の顧客分析で、・・が隠れたニーズとして存在すると仮説立て、、、」のイメージで、そのヒットが思い付きではなくそれなりの方法論に基づいた商品開発だったと説明したとします。あるいは、「・・の状況下で、・・のようにチームを牽引したら・・のようにうまくいった」と、あるリーダーBさんのリーダーシップの成功要因を分析したとします。これらは、AやBが置かれた状況下での成功のエビデンスにはなるでしょう。しかし、これから先の未来に対するエビデンスにはならないのです。なぜなら、市場やチームメンバーなどの変数がA・Bからひとつでも変わると、うまくいくとは限らないからです。

私たちがこれから遭遇する環境が、過去の成功事例が置かれていた環境と全く同じであれば、過去のエビデンスがそのまま通用するかもしれません。しかし、過去と全く同じ環境は二度と現れません。例えば、自社が参入しようとする市場の規模、発展ステージ、競合の動向、政府の規制などの要素が、ついこないだ別の業界でうまくいったモデルケースと実によく似ているとします。しかし、業界が違って対象となる商品が違えば、前提がまったく異なると言えるでしょう。

過去にチームリーダーとしてうまくいった自身の経験から、当時の自身がとった言動・行動をうまくいくリーダーシップのエビデンスにするとしましょう。チームを取り巻く環境が当時と極めて似ていたとしても、チームメンバーが別の人なら、その人の意欲・能力・価値観・求めていることなどがまったく異なります。よって、まったく同じやり方でうまくいくとは限らないでしょう。また、当時と同じメンバーだったとしても、そのメンバーにも成長や変化が起こるため、やはりまったく同じやり方ではおそらく通用しないでしょう。「この通りにやっておけば永遠に通用するエビデンス」など、存在しないと考えるべきです。

山本五十六氏で有名な「やってみせ 言って聞かせて させてみて 誉めてやらねば 人は動かじ」ぐらいまで内容を抽象化すれば、おそらくどんな未来の環境下でも通用するリーダーシップのエビデンスになるでしょう。しかし、この場合、置かれた実際の場面で具体的に何をどのようにやってみせるのか、どのように言って聞かせるのがよいかは、使い手の側が考えなければなりません。結局、場面に応じてどのように使うのか、カスタマイズが必要になるわけです。

次に、十分なエビデンスが仮に得られるとして、そのエビデンスを取り入れて実行できるとは限らないということです。他社・他者の強み・弱みと、自社・自分の強み・弱みとは異なります。「他社・他者が・・で成功している」と分かったとして、それと同じことができる能力が自社・自分にあるとは限りません。また、自社・自分がどのように市場や社会、組織に対して貢献したいかの理念・価値観も異なります。よって、エビデンスをそのまま意思決定の判断材料にするのは無理があると言えるでしょう。

もうひとつは、そもそも仮に絶対的なエビデンスが手に入るのであれば、何の優位性ももてなくなるということです。企業も個人も、他社・他者より優位に物事を進めていこうとして競っています。その競い合いが、社会の発展につながっているとも言えます。「こういう環境では絶対の確度で信頼できるエビデンス」なるものがあれば、みんなそれを取り入れて実行するに決まっています。「今意志決定しようとしている方法に完全に当てはまる企業の事例というエビデンス」だらけになれば、あらゆる企業が同じことをするはずなので、もはやうまくいくことは難しくなるでしょう。

冒頭の企業様では、エビデンスを求めて「この方法がうまくいくと確信できるデータは何か?」「このテーマに関して業界他社で最もよく採用されている方法論は何か?」「その方法でうまくいった過去の事例はないのか?」と、問いかけていたというわけです。極めて狭義の事象で、過去にも同様の事象がたくさん存在し、未来にもたくさん出てきそうなことであれば、そうした問いかけもよいかもしれません。しかし、業界の中でも目新しい企画に打って出ようとするなら、過度なエビデンス依存はあるべき姿からずれていると言えるのではないでしょうか。よって、「過去の事例がないからこそ、やれば自社のブランディングになる、という考え方はできませんか。」と、私なりに問いかけてみた次第です。

エビデンスに依存する「エビちゃん」は、物事を進める上で必要なキャラクターであり必要な要素です。どういう環境のときにどのように進めたらうまくいったのか、自社を取り巻く利害関係者に関するデータでどのような分析結果が出ているのかなど、意思決定にあたっての参考資料として有益です。しかし、エビちゃんだらけになると、エビデンスの前提となっている要素の違いに気づかず、望ましくない仮説を立ててしまうかもしれません。また、前例がないと動けない思考停止集団になってしまうでしょう。

続きは、次回以降また取り上げてみます。

<まとめ>
エビデンスは必要だが、有効性には限界がある。

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