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出社回帰を考える(5)

先日、友人の主宰する、人や組織の勉強会でファシリテーター役を務める機会がありました。夜間に1ドリンク・軽食付きというリラックスした雰囲気で進める、たいへんユニークな勉強会でした。

以前数回にわたって投稿していた「出社回帰を考える」の内容をお読みくださっていて、同勉強会でこのテーマにてファシリテーター役をお願いしたいというご依頼を受けたという経緯です。

全員がオフィス勤務の状態と、全員もしくは一部のメンバーがリモート勤務の状態とで発生する、コミュニケーションの質・量の違いについて、以前の投稿で次のように考えました。

全員オフィス勤務で対面するという形式のほうが、下記の点で優れている。
1.直接見聞きできる情報が多い
2.直接は見聞きできない情報についても、新たに見える化しやすい
3.直接見聞きできる情報のやり取りを深めることで、メンバー間での共通認識を深めたり、創発的な価値が生まれたりしやすい

参加者の皆さんは総じて上記が共通認識だったように見受けられ、そのうえで、いろいろな意見交換が行われました。意見交換ではいろいろな話が出てきましたが、個人的には次の2点が印象的でした。

・感情を伴うコミュニケーションは、リモートでは限界がある

「はい」「いいえ」で受け答えできるようなやり取りなら、やりようによってはリモート・オンラインでもほぼ問題なくできる。一方で、感情を伴うコミュニケーションは、オンラインでは限界があるという意見がありました。そのことについて、「空気の共有ができない」と表現する参加者も見られました。

出社/非出社においてのコミュニケーション上の違いは他にも、「不意のタイミングでのちょっとした雑談」がオンラインではできない、仕事のことで誰に頼んだり聞いたりするべきか判断するにあたって「手が空いてそうかどうか」がオンラインではわからないなど、オンラインにおけるコミュニケーション上の限界を指摘する意見がいろいろありました。そうした点も重要な要素ですが、オンラインでは「一緒に」の感覚が持ちにくい、空気感の共有がしづらいというのが、違いの本丸ではないかという話に至った次第です。

参加者の中には、仮想現実(VR)の推進にかかわっている方もいました。顔に装着するゴーグルによって、匂いなどを含め、かなりのレベルまで実際の景色を再現するところまで来ているそうですが、「一緒に」の感覚の再現までは無理があるというお話でした。(将来的には、この感覚の再現も可能になるのかもしれませんが)

一時期隆盛だったオンライン飲み会というのも、今ではまったく聞かなくなりました。同じ場所で同じ料理を食べているかのように、多拠点に同じフードを同時刻にデリバリーするサービスも話題になった記憶がありますが、その後も使われているのか定かではありません。

やはり、感情を伝え合う、共有するというのは、オンラインには限界があるのだと思われます。

・出社か非出社かは、課題の本質ではなく、手段である

職場や組織の本質は、メンバー間でもっとも生産性が高く満足度も高い状態で仕事をし、付加価値のある成果を上げることです。その状態づくりのために、必要な施策を定義し取り組みます。出社か非出社かは、どのような形式で仕事やプロジェクトに取り組むのかという、手段の一要素であって、本丸の課題ではないはずだという意見がありました。

その状態づくりのために必要なことは、部署やプロジェクトによっても置かれた状態で異なる。よって、一律なルールにする必要もなく、出社か非出社かをどのような割合でどこまで許容するかも、部署やプロジェクトなどの組織単位で決めればよいというわけです。

言われてみればもっともなのですが、普段抜け落ちがちな視点だと思います。

適当な例ですが、たとえば次のように考えてみます。

ある企業では、週2日の出社を義務としている。週3日はリモート勤務としている。ある部署もその全社ルールに従っている。

同部署で3人が情報共有しながらちょっとしたプロジェクトを進めていこうということになった。しかしながら、3人のうちAさんは、同プロジェクトに関する予備知識が少ないこと、及び関連する情報を集約するソフトにも不慣れなことから、期待役割を果たすためのタスクに右往左往していた。

Aさんは、プロジェクトメンバーとしてタスクを遂行する力や思考力などは高い。同プロジェクトへの意欲も高い。たまたま、同プロジェクトを始めるうえでのレディネス(事前準備の状況)が、他の2人よりも遅れているために、ギャップがあるだけ。同プロジェクトの分野に関する一定の知識と、同プロジェクトで使いたいソフトの操作方法がわかれば、十分にメンバーとして活躍できる見込みである。

同プロジェクトを取りまとめるBさんの提案で、ある週を毎日Aさん、Bさん揃って対面出社することにした。他の業務にも対応しながらだが、毎日2~3時間ずつ5日間集中して同プロジェクトに関する知識やソフトの操作方法、利害関係者の特徴など関連情報をBさんが隣でAさんに教えたり指示出しして質問にも受け答えしたりしながら、レディネスのギャップを埋めることにした。

5日間の最終日の金曜日には、終業後にCさんも入れてプロジェクトのキックオフ会の飲み会を行った。もうひとりのCさんは、家庭の事情もあって毎日は来られなかったが、金曜日にはこのためだけに週3回目の出社をした。次の週からは、全社ルールの週2日出社・週3日リモート勤務でも、プロジェクトはうまく回り始めた。

このように、出社・非出社という形式は、目的を達成するための手段として、状況に応じて使い分ければよいわけです。

しかしながら、そうなっていないケースも聞きます。

「全社ルールで出社/非出社の割合が決まっているから、その枠内でやり方を組み立てないといけない」

「出社したほうがやりやすいため出社したいという申し出を上司にしたが、オフィス縮小したため混雑しないよう来ないでくれと言われた」

「もう少し区切りのいいところまでミーティングを進めたほうがよく、お互いにまだ都合もつくが、残業禁止のルールのため中途半端な状態ながらミーティングを切り上げて退社する」など。

(スペースの問題など物理的に難しい面もありますが)形式論から入ってしまい、組織活動の本質と形式とが入れ替わって本末が転倒していると見受けられる話は、時々聞きます。

・感情を伴うコミュニケーションは、リモートでは限界がある
・出社か非出社かは、課題の本質ではなく、手段である

改めて、振り返ってみたいポイントではないかと思います。

<まとめ>
手段ありきではなく、もっとも生産性が高く満足度も高い状態づくりのための、適した手段を探す。

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