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野球の監督に学ぶ、目的と成果

11月12日の日経新聞で、「たかが髪形 されど髪形」というタイトルの記事が掲載されました。全国高校野球選手権大会(夏の甲子園)で慶応義塾高(神奈川)を優勝に導いた森林貴彦監督へのインタビュー記事の内容です。

森林貴彦監督の手腕が注目され、各所で取り上げられていますが、改めて同記事を手がかりに考えてみたいと思います。同記事の一部を抜粋してみます。

この夏の甲子園、107年ぶりの全国優勝を遂げた慶応義塾高(神奈川)のナインは笑顔の「エンジョイ・ベースボール」で汗と涙の色濃い高校野球に、新風を吹き込んだ。これからの高校野球は「勝ち」を目指しつつも、自立心を育む人材養成面などの「価値」が求められるという森林貴彦監督に、真意を聞いた。

「夏の甲子園3回戦の広陵(広島)戦で、初回に丸田湊斗選手が三塁盗塁を決めて先制したが、サインは出していなかった。彼が自分で決めた。三盗も選択肢として準備していたが、初回から(危険を冒す)サインは出せない。私よりよほど度胸、判断力がある。勇気も要るし、根拠がないと走れない。これからもそういう場面に出合いたい」

――自分で考える楽しさを味わってほしい、と思ったきっかけは。

「高校2年の夏、上田誠監督が『二塁けん制の動きやサインを自分たちで決めてみなさい』とおっしゃった。内野手の私と投手、捕手が練習後の暗くなったグラウンドで、ああでもないこうでもないと話し合った。自分たちで物事を進めるワクワク感は高校野球の一番の思い出だ」

「チームの決め事を守り、人と同じことをするだけでは人生、面白くない。ますます価値観が多様化し、自分なりの幸せを選び取る時代になると思うので、これをやりたい、自分にとってこれが正しいと判断する感覚を野球で養ってほしい」

――相当の野球技術がないとエンジョイはできない。

「もちろん、ただ笑顔でやればうまくいくというものではない。頂点を目指す以上、日々の地道な苦しい練習、ライバルとの競争、試行錯誤がある。そこを乗り越えるところに、より高いレベルの喜びがある。それがエンジョイの真意だ」

――筑波大の大学院で、勝負事でしゃかりきになってはいけない、という研究成果を残した。

「頑張り度合いとパフォーマンスの関係を調べると、100%の力で走ったときに最高の速度が出るわけではない。8割の力で走ると9割の速度が出る。野球の投球でも全力で投げるより、少し力を落とす方が球速も出て、制球が定まる。全力でやるなということ。各界の達人が極意として力を抜くとおっしゃる。それと同じではないか」

「エラーをした野手や失点した投手が、取り返そうと思うのもよくない。それで取り返せるなら、そんな簡単なことはない。過去は切り捨て、未来を向いて今やれることをやる。練習試合では反省もするが、公式戦で過ぎたことを引きずっていいことはない」

――自主性は大事だが、選手任せの危うさも。

「1代前の3年生は一人ひとりが自立していた。そこで私もある程度任せたが、任せ過ぎたというか、お互いの意思疎通が足りなかった気がする。選手との距離感はいつも悩む。就任当初は私が面倒みなきゃという意識もあって、こまごま言い過ぎていたと思う。失敗は多々ある」

――サインに縛られない選手は本当に育つか。

「野球がどういう人材を社会に送り出せるか、野球型の思考が今後の社会にどうマッチするのか考えると、危機感を覚える。勝つために手段を選ばないといった思考が、高校生以下の世代でも、ゆがみとして出ている。そこで打ち出したのが『成長至上主義』。ただただ勝利を目指して頑張ろう、ではなくて、一人ひとりが人間的に成長し、周りも成長させる。選手としての成長、人間としての成長が車の両輪となったら強い。それによって、実は勝利にも近づくのではないか」

――理想を掲げ、変革を唱えれば風当たりも強くなる。

「チームの目標は『慶応日本一』だが、その先の目的として『恩返し』と『常識を覆す』を掲げてきた。今年の選抜大会でも『高校野球を変えたい』と言って甲子園に乗り込んだが、初戦敗退。簡単に言うな、できるわけないだろう、という声があった。ただ、それをバネにして、夏こそという思いが強まり、成長の材料になった」

私たちが普段取り組んでいる組織活動を考えるうえで、改めて示唆的な内容だと思います。同記事に関連し、ここでは大きく4点考えてみます。ひとつは、(当然でしょうけど)指導者・メンバー共に相当な勉強と努力をしているということです。

「エンジョイ・ベースボール」というスローガンだけが独り歩きすると、「楽しくやっているだけ」のように誤解されかねませんが、「真剣にやるからこそ結果として楽しさがついてくる」が本質だというのが、改めてよく分かります。

森林氏の考えや判断の一つひとつにも、すべて理由があるように見えます。そしてその理由は、勘だけではなく、大学院で研究された指導理論、日々自身が教鞭をとる教師としての実践、本質を考え抜く哲学からきているように見受けられます。やはり、成果を上げる組織にするためには、それを必然とさせるための基盤とプロセスがあるのだと改めて認識します。

2つ目は、自分たちにとっての目的と成果を定義していることです。

同チームでは、「慶応日本一」の目標の先に「恩返し」「常識を覆す」を目的に掲げているとあります。

甲子園に出場するチームは、どのチームも「優勝」「日本一」を明確な「目標」にしているはずだと思います。そのうえで、その先の「目的」(最も遠くにある「何のために」)までは明確に設定していないチームも、もしかしたらあるかもしれません。

目標というのは、目的に近づく通過点のひとつという位置づけになります。ひとつということは、それがすべてではないということです。「成長至上主義」に沿ったメンバーの具体的な変化、例えば、チームを卒業する時には自分で主体的に考える人に変われているといったことも、おそらく目標の一部になっているのではないかと想像します。

先日の投稿では、侍ジャパントップチーム前監督・栗山英樹氏の頭の中に「僕らもファンの皆さんも、どう負けたら納得するのかっていうこと」があったということを取り上げました。日本中を巻き込んでファンが感動した・納得して観戦できたという終わり方ができれば、それが成果だと定義したのではないかということです。つまりは、優勝のみが成果ではないということです。

プロはまた別かもしれませんが、少なくとも学校の部活動であれば、チームの勝ちだけのためにそのスポーツに取り組んでいるわけではないはずです。勝ちの向こうにある目的・勝ち以外の成果を明確にできていて、その成果を得るためのプロセスを蓄積できていけば、勝ち・負けなどどのような結果になっても得られるものがあるはずです。そうであれば、「学生時代の大会が終わったと同時に、拠り所になるものを見失う」ということにもならないと思います。

3つ目は、「今、ここ、自分の課題」を明確にしていることです。

「エラーや失点を取り返そうとしない」と過去を切り捨てて、未来を向いて今やれることをやる、とあります。これは難しいことです。私たちの組織活動でも、「あんな失敗をしたんだから、これで取り返して埋め合わせよう」とか、「ここまでせっかく投資したので、これからも多少損失が出るのが分かっていても、今さらやめるわけにはいかない」といって、過去に引きずられたり埋没費用効果に気を取られたりすることはありがちです。

反省は必要ですが、過去や他人を直接変えることはできません。つまりは、過去には自分がこれからやるべき直接の課題はないということです。過去を反省した上で、自分が取り組んでこれから影響を及ぼせることに、自分の課題を集中させることの大切さを改めて感じます。

続きは、次回考えてみたいと思います。

<まとめ>
目的と成果を定義し、「今、ここ、自分の課題」に集中する。

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