野球の監督に学ぶ、目的と成果
11月12日の日経新聞で、「たかが髪形 されど髪形」というタイトルの記事が掲載されました。全国高校野球選手権大会(夏の甲子園)で慶応義塾高(神奈川)を優勝に導いた森林貴彦監督へのインタビュー記事の内容です。
森林貴彦監督の手腕が注目され、各所で取り上げられていますが、改めて同記事を手がかりに考えてみたいと思います。同記事の一部を抜粋してみます。
私たちが普段取り組んでいる組織活動を考えるうえで、改めて示唆的な内容だと思います。同記事に関連し、ここでは大きく4点考えてみます。ひとつは、(当然でしょうけど)指導者・メンバー共に相当な勉強と努力をしているということです。
「エンジョイ・ベースボール」というスローガンだけが独り歩きすると、「楽しくやっているだけ」のように誤解されかねませんが、「真剣にやるからこそ結果として楽しさがついてくる」が本質だというのが、改めてよく分かります。
森林氏の考えや判断の一つひとつにも、すべて理由があるように見えます。そしてその理由は、勘だけではなく、大学院で研究された指導理論、日々自身が教鞭をとる教師としての実践、本質を考え抜く哲学からきているように見受けられます。やはり、成果を上げる組織にするためには、それを必然とさせるための基盤とプロセスがあるのだと改めて認識します。
2つ目は、自分たちにとっての目的と成果を定義していることです。
同チームでは、「慶応日本一」の目標の先に「恩返し」「常識を覆す」を目的に掲げているとあります。
甲子園に出場するチームは、どのチームも「優勝」「日本一」を明確な「目標」にしているはずだと思います。そのうえで、その先の「目的」(最も遠くにある「何のために」)までは明確に設定していないチームも、もしかしたらあるかもしれません。
目標というのは、目的に近づく通過点のひとつという位置づけになります。ひとつということは、それがすべてではないということです。「成長至上主義」に沿ったメンバーの具体的な変化、例えば、チームを卒業する時には自分で主体的に考える人に変われているといったことも、おそらく目標の一部になっているのではないかと想像します。
先日の投稿では、侍ジャパントップチーム前監督・栗山英樹氏の頭の中に「僕らもファンの皆さんも、どう負けたら納得するのかっていうこと」があったということを取り上げました。日本中を巻き込んでファンが感動した・納得して観戦できたという終わり方ができれば、それが成果だと定義したのではないかということです。つまりは、優勝のみが成果ではないということです。
プロはまた別かもしれませんが、少なくとも学校の部活動であれば、チームの勝ちだけのためにそのスポーツに取り組んでいるわけではないはずです。勝ちの向こうにある目的・勝ち以外の成果を明確にできていて、その成果を得るためのプロセスを蓄積できていけば、勝ち・負けなどどのような結果になっても得られるものがあるはずです。そうであれば、「学生時代の大会が終わったと同時に、拠り所になるものを見失う」ということにもならないと思います。
3つ目は、「今、ここ、自分の課題」を明確にしていることです。
「エラーや失点を取り返そうとしない」と過去を切り捨てて、未来を向いて今やれることをやる、とあります。これは難しいことです。私たちの組織活動でも、「あんな失敗をしたんだから、これで取り返して埋め合わせよう」とか、「ここまでせっかく投資したので、これからも多少損失が出るのが分かっていても、今さらやめるわけにはいかない」といって、過去に引きずられたり埋没費用効果に気を取られたりすることはありがちです。
反省は必要ですが、過去や他人を直接変えることはできません。つまりは、過去には自分がこれからやるべき直接の課題はないということです。過去を反省した上で、自分が取り組んでこれから影響を及ぼせることに、自分の課題を集中させることの大切さを改めて感じます。
続きは、次回考えてみたいと思います。
<まとめ>
目的と成果を定義し、「今、ここ、自分の課題」に集中する。
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