見出し画像

「辞められた」のではなく「辞めさせた」

以前の投稿「「同胞感」が最大の強みの組織」では、大型歯科医療グループの「管理しない運営」(梶原浩喜氏著)という書籍で紹介されていた「同胞感」の意義について考えました。先日、同書の著者である梶原氏にお会いして、まとまった時間お話する機会がありました。今日は、その話の中で感じたことをテーマにしてみます。

同グループでは、組織長に対して、使わせないようにしている言葉があるそうです。それは、退職するメンバーが出てきたときに、その退職を「辞められた」と表現することです。その理由は、「それは「辞められた」のではない。「辞めさせてしまった」と考えるべきだから」ということです。

梶原氏は次のように話してくれました。

~~はじめから辞めたくて入社してくる人などいない。であるならば、本人が辞めることになるなんらかの要因を、組織がつくってしまっていることになる。そのことを認識せず、「また辞める人が出てきたから困る」「ちゃんとした人を採用してくれ」などと言っているとするなら、それは組織長の役割放棄だ。

うちのグループではそうした他責思考ではなく、自責思考を特に組織長には求めている。だから、「辞められた」という言葉は使わないよう組織長には徹底している。言うのなら「辞めさせてしまった」という言葉を使うべきだ。そして、どんなことが辞めるという結果につながってしまったのかを考える。「辞められた」と言ってる時点で失格だと思う~~

仕事をする中でなんらかの問題が発生する、その結果退職という結論に至るのは、人と人とのかかわり、あるいはその他の要因の結果です。ですので、本人と本人以外の相手とで10対0や0対10ということは基本的にないと思います。本人の側にも何らかの要因があり、人以外の要因によることもあるはずです。また、退職が必ずしもネガティブなこととは限らず、本人のキャリアの進路としてポジティブな選択の結果という場合もあります。

そのうえで、梶原氏の示唆は、「組織長として、せっかく入ってきた人と最大限のチームプレイを発揮できるよう、相手に関心を持って関わっているか」というところに主にあるようです。

お話をお聞きする中で、何度か出てきた言葉があります。

・人は、自分に関心を持ってくれる人が好きである
・何を言うかも重要だが、誰が言うかはもっと重要である

組織がミッションやビジョンを掲げていても、自分が嫌いな人がそれを言うなら何を言っても聞こうとはしない。自分が好きだと思う人が言うことで初めて意味が出てくる、というわけです。そして、自分が相手を好きかどうかは、結局のところ自分に関心を持ってくれるかどうかが大きい、と言います。

お会いした日も、組織長との個別面談が1日中順番にスケジューリングされていました。その予定の中で、昼食時間を含めて私とお会いしてくださった状況でした。恒例の月1回の個別面談では、業績や数値のことは一切話題にせず、他愛のない近況などについてを話題にしているそうです。1on1ミーティングを導入している企業では、業務と直接関係ないことを話題にするのを趣旨としているところも多いと思います。同グループでは、まさにそのことが当てはまりそうです。

また、普段から誕生日などを含めたメンバーの基本情報などについて意識するようにしているそうです。執務室の一部をご案内くださいましたが、全メンバーの顔写真が壁に張り出しているのが印象的でした。「相手に関心を持って関わるというのは、こういうことか」というのを実感した次第です。

相手に関心を持って関わるといっても、そのやり方は置かれた状況や環境にもよります。上記とまったく同じやり方にすべきというわけではないと思います。また、採用の段階で同グループの理念に共有するかどうかをしっかり見ているはずですので、その前提での上記の話となります。

そのうえで、シンプルに「自分に関心を持ってくれている人が言うことなら聞きたくなる」という示唆には、普段の自分の行動を省みる思いでした。

<まとめ>
組織内の出来事の結果を、自責思考で考える。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?