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嵐のような日々の中で

文章を書いていると心が落ち着きます。曲や絵は完成させるまでに時間がかかってしまうので、文章は手っ取り早いアウトプット先としてちょうどいいです。


相変わらず低空飛行と墜落を繰り返している日々なのですが、作ることはできています。この文章しかり。作品を作ることよりも、ご飯を作る方が今は難しい。それはただ家事が面倒くさいだけじゃないかとツッコミが入りそうですが、そうではないんです。

言い訳をすると、私にとってのクリエイティブ活動はいわば生命維持装置みたいなもので、全てのことに敏感になってキャッチしすぎてしまっているのを何らかの形で放出しないと破裂しそうになるんです。全てが美しくも感じるし、全てが絶望にも感じてしまうので感情がとても忙しい。忙しすぎて、居ても立っても居られなくて、何かを作ることでしかバランスを取れません。ぼーっとしているとかは無理です。ぼーっとしている間にたくさんキャッチしてしまうので。人間にも電源オフ機能があったらいいのにな〜って思います。自分でどうやってオンにするのか分かりませんが。タイマー式とか?

キャッチしすぎている時は本当に大変です。大袈裟に言うと、道端に落ちている石ころで100通りぐらいのことを考えてしまいます。この間は考えすぎて、宇宙の始まりについてまで到達してしまいました。その考えてしまうのを止めることはできないので、眠って強制シャットアウトするか、作品にぶつけるかです。

その作る行為は楽しさというよりも、衝動に近いかもしれません。お腹が痛くなったらトイレに行く感じです(例えが汚い)。お腹が痛くなってもトイレに行かなかったら身体に悪いじゃないですか?だからキャッチしすぎて溜まってしまったものは、何かを作って体外へ放出しているんです。これはもはや生理現象です。

昔からそうでした。路上ライブへ出た時も鬱がひどかった頃で、今と違って創作スキルは弾き語ることぐらいしかなかったですし、ネットもそんなに普及していなかったので、とにかく路上に出て体外放出しよう!って。いや、なんで家じゃないん?なんで路上なん?とにかく外へアウトプットしたくてしょうがなかったんでしょうね。


何も感じられなくて作品が作れないのと、何でも感じられて作品が作れるのとどっちがいいかと問われたら、大変すぎて「後者がいい!」と言い切れない自分もいますが、ここ最近は作りたいものに徐々に近づいている気がするので、ようやく後者である自分を受け入れ始めています。

誤解してほしくないのですが、今までも決して作りたくないものを作っていたわけではありません。作ってはいるけど圧倒的に自分のスキルが足りていない感じがずっとあって、そもそもそのスキルが何なのか自体が分からなかったですし、分かったとしてもすぐに手に入るものでもないですし、手に入れても自分にはその才能はないかもしれないですし、頭の中にイメージはあるのに具現化できないもどかしい状態でした。自分の中のこうしたい!が強すぎるんでしょうね。一人っ子だからかな(笑)

そうして時間をかけて色んな表現ができるようになってきた今、もう少しでインプットとアウトプットのバランスが取れそうな気がするんです。食べたら食べた分だけ出さないと体調を崩すし、流れてきた水は溜めずに流さないと溢れてしまう。これは人によって量が違うのでしょう。つまりインプットしすぎてしまうことは生まれ持った体質なので受け入れて、アウトプット量を調整していこうというわけです。こうしてやたら長い文章を書いているのもそうです。


アウトプットの一つであるこの文章も何気に10年以上書き続けているのですが、ようやくありのままの自分の言葉で書けるようになってきました。こんなこと書いたらダサいかなとか、あんなこと書いたら面倒くさいやつだと思われるかなとか、どうでもいいこと書きすぎかなとか色々考えすぎてしまってかなり掻い摘んだことばかり書きがちだったのですが、ありのまま書くことが自分のアウトプットとしては良質だと感じるので、もうパーパーでいきます。ちなみにパーパーは名古屋弁です。

読書感想文みたいな大量の文章を読ませて書かせるとか狂気でしかないと思っていたタイプなのですが、今では大量の文章を書いて読ませる側になってしまいました。ここまで読んでくださったあなた、ありがとうございました。




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