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【Ouka】 1.雷鳴

ナナ7

雷の音が聞こえてくると、恐怖心と同時にどこかわくわくしている気持ちが存在する。
私は小さな頃に布団の中で丸くなったまま、はじめてその事実に気が付いて驚いた。
もちろんはっきりとした言葉で理解したわけではない。
ただそれがそこに漠然と存在することを知った、という言い方のほうが適切かもしれない。
そしてもっと漠然としたもう一つの感覚については、気が付いてすらいないふりをしなければならなかった。
「人は誰しも、心のずっと深い場所では破滅を期待している」
不吉な予言のようなその感覚は、黒いもやもやとした姿でこちらをじっと見つめていた。
それは突然現れたわけではなく、いつも傍らに身をひそめていたのだろうと思う。
それがそこに居ることを知った小さな私は、布団の中でべっとりと汗ばんだ小さな手のひらを固く握りしめ、小さく丸めた体をさらに小さく縮めるしかなかった。
高校生になった今も、雷が鳴る夜は体を丸めて眠る癖が残っている。
黒いもやもやはとっくにその影を薄めたというのに。

「超絶美人の天才バレリーナになって大富豪のおじさまに無回転寿司いっぱい食べさせてもらいたい人生だった」
「うるさい」
こちらに目もくれずにナガセは言った。
発表で使う資料を順番に重ねていく手も止めずに。
「でも美人でもないし天才でもないから寿司どころかシャリもない」
「うるさい」
「ついでにバレエもやったことない」
「ねぇ、いいから手動かしてマジで」
「めんどくさいよー。めんどうがくさいよー」
私はフレーメン反応の顔をしながらそう言った。
「わかった、帰りに回転寿司寄ろう。だから今は一枚でも多くプリント重ねてって」
「回ってんのかよー。回ってないのがいいよー」
「回ってるよ。めちゃめちゃ回ってるよ」
「高速回転?」
「ベイブレードくらい回ってるよ」
「それはちょっと見たいな」
ナガセはベイブレードくらい高速で回っている寿司を想像したのか、下を向いて肩を震わせた。

私が生徒会長に立候補すると言ったとき、ナガセは笑いながら副会長に立候補した。
「あんたが生徒会長になったらなんやかんやあって学校が爆発しそうだからあたしが止めないと」というのがその理由だった。
「ひど」
「学校はあたしが守る!」
「爆発て。マンガか」
「ちゅどーんって」
「ちゅどーんってね」
「なんかこう、こういうポーズで飛ぶやつね」
ナガセは椅子に座ったまま両膝を曲げて手をロックサインの形にした。
「しょえーってね」
「あんた成績もいいのに、生徒会長なんかになったら安泰だね、内申点」
「内申点はどうでもいいかな。なんとなくやってみたい」
「やば。大物じゃん。今のうちにサインもらっとこ」
「送りバントでいい?」
ナガセは送りバントのサインを出されるサイン会を想像したのか、下を向いて肩を震わせた。

ある日、私は生徒指導室にいた。
コチコチと時計の秒針が進む音だけが響いている。
「なんというか」
教師が咳払いで静寂を押しのけてから言った。
「事の次第は、わかった」
私は次の言葉を待った。
「まぁ調査書の内容は少々まずいことになるかもしれないけど」
「はい」
なにが”はい”なんだろう、と私は思った。
「たしかそんなに影響なかったと思うし、学力のほうでまぁ、カバーできるだろ」
「はい」
「大学行くんだったよな」
「はい」
「停学になる生徒会長って、はじめて見たなぁ」

「あ、もしもし、ポンコツ生徒会長さんですか?」
電話に出るなり、ナガセががっつり煽ってきた。
「はいこちらポンコツ」
少しの間、沈黙があった。
おそらく笑うのをこらえているのだろう。
思いきり声を出して笑えばいいのに、と私はいつも思う。
「家から出るのとかもダメなんだって?」
「ほんとはね」
「ほんとはってなに?出てんの?」
「いや、出てないよ」
「どゆこと?」
「ナガセが「会いたい」って言えば出る」
「会いたい」
「わかった。夜になれば出れる」
「あそこの公園でいいかな」
「うん」
「あとでまた電話する」

暗い公園のベンチに、スマホの灯りで顔を照らされたナガセが座っていた。
私はナガセにあたたか~いミルクティを渡しながら言った。
「外出禁止の人を外出させちゃうなんて、わるいやつ」
「うわ、停学になった本人が言ってるのおもろ」
「あんまり長くは居られないからね」
「うん。顔見れたのでもう半分くらい満足してる」
夜の公園は不必要なほどの静寂に満たされていた。
ときどき風が落ち葉を移動させる乾いた音がするだけだった。
向こうの暗闇でもやもやしたものが動いたような気がしたけれど、おそらく無音と暗さからくる不安によるものだろう。
「安泰だと思ってたのにねぇ」とナガセが言った。
「いや、べつに気にしてない」
「それな。思いのほか落ち込んでないから、びっくりした」
「うん」
「わざと転落したのかってくらい」
ミルクティをひと口飲んだあとで、ナガセが言った。
「ねぇ、あのさ」
「ん?」
「わざとじゃないよね」
「まさか」

どこか遠くから雷の音が聞こえた。


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