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価値観の相違を「老害」と片付ける老害予備軍になりたくない個人的な考え。


こんにちは。ふじきむです。

今回も個人的に思っている考えをつれづれなるままに書き散らします。他人どうこう言う話しでは決してありません。他人は他人で好きに思えばいいのです。



価値観や生活に係る技術のアップデートは難しい。でも意識的に取り組む必要があるように思う。

ここ1~2年で特に考えるようになり、最近よく考えるのでnoteに書いてみます。



自分が年老いたとき、今と同じように新しい技術を使いこなし、スピード感をもって仕事や生活に取り組めるのか。

こと自分に関しては正直自信がない。数十年後に若者に内心見下される可能性は大いにある。そのために今を生き急いでいる。


人間は慣れ親しんだことを繰り返す性質があるように思う。普段生きなれた通勤・通学路を通るし、自分がやりやすいように作業をする。
それを続けている限り自分を変えようというインセンティブは生じない。
これは極端な話だが、こうしたところをきっかけに世代間のすれが生じ始めていくのだろう。
お互いに前提としている見方が異なっているので意見が一致しなくて当然である。なまじお互いが「常識」と認識しているからこそ危険すらある。
弾圧こそないが世代間の対立を生んでいるように思えて仕方がない。



世代間ギャップを、奴らが老害だから消えてしまえばよいよと一蹴する者は、自分が一蹴されない存在になり続けられると自負しているのか。自分がそうならないと言えるのだろうか。


年齢にもよるが人生100年時代においては、現在生きている人は健康でいられればもう数十年も生きることとなる。
その間に価値観や生活に必須なもの、キャリア観は大きく変わっても不思議ではない。その際、価値観やテクノロジーをキャッチアップし続けられるのだろうか。

例えば、育児期間中などは本当に厳しいと思う。
乳児期であれば、寝る時間すら1~2時間がざらという中で(完全に配偶者に任せて自分だけ稼ぐといった夫婦も今後希少になっていくだろう)、そうした時間が取れない中で、キャリアアップの学習や世間のトレンドを拾っていくことはとてもでないが不可能に近いと思える(できている人がいれば本当に尊敬する)。


数年~十年程度仕事の最前線から離れていると、システムや業界トレンドが大きく変わってしまうことも大いに考えられる。

そうした状況下で、年老いて記憶力が落ちたり、新進気鋭な若人たちが活躍している様を見ると、焦りにさいなまれることや、自分はもう不可能だとあきらめてしまうことも容易に想像できる(事実そうした社会人も多いのではないか)。


殊、ふた昔前であれば社会保障が手厚く、老後も年金で「逃げ切れる」と考えられていたが、現在はその社会保障が想定する以上に平均寿命が延びていきそれに引きずられて労働期間も伸びている。
そうなれば、価値観やスキルをアップデートしない状態でいることは、引退までに厳しい環境(周りの目線、収入など)になる可能性がある。



話は変わるが、数周回遅れで『LIFE SHIFT』を読んだ。
この本の感想だけで1つnoteが書けるが本題とそれるので、また気が向けば。


この本書の内容は、私が先ほど述べたようなことが解りやすく具体的に解説されており、未来への道しるべとなるので、前社会人/就職を控え人々は必読の一冊だ。


それはいいとして、私はこの春からIT業界に身を置いたが、その目的のひとつとして自己研鑽を続けるためにあえて厳しい環境に身を置きたかったというものがある。IT業界は想像できるように技術の移り変わりが他の業界と比較しても速く、自己研鑽をしていないといとも簡単に落ちぶれてしまう。例えば現在はPythonやJavaが流行っているが、それも何年、何十年後はどうなっているか分からない。そもそも数十年後には人間がプログラミングをしているかどうかさえ怪しい。
若いうちは流行りの技術を身に着け高収入でバリバリ活躍できるが、その技術が廃れてしまうとただの経験者に成り下がってしまう。そうしてお金が必要になってくる時期になり悲しい現実を突きつけられるという話も聞く(ITバブルにあるように)。
若いうちは流行りの技術を身に着け高収入でバリバリ活躍できるが、その技術が廃れてしまうとただの経験者に成り下がってしまう。そうしてお金が必要になってくる時期になり悲しい現実を突きつけられるという話も聞く(ITバブルにあるように)。


私はIT業界で永年通用せずとも、自分をアップデートする意識の大切さを身をもって学びたかった。
たった3ヶ月であるがこの業界に身を置いてよかったと思ったことがある。


やはり私が期待していたスタンスを持っている方が多くいらっしゃったことだ。

最近よく一緒に勤務している方は既に還暦を迎え、サポートのような役割で私と同じ業務についている。その方をはじめとして、他の私の倍以上生きている方でさえ、状況の変化や新しい技術に関心を持っている。
前職はお堅いメーカーで、全員ではないが保守的な考えの方が多かった。慣れ親しんだ方法ややり方を好み、若い者の考えは「若い者の考え」として自分とは解りえない世界だと主張していた。もちろんその方々のスタンスであり、それに対して良い悪いはないが、残り十数年の間の社会の変化に対してどうするのだろうと内心疑問に思った。


これから私がどういうことを考えどこに属し何をするかは当然分からない。
ただ、自分が信じる事と、世間の流れを見極め、程よく調和していく事が大事なのだろうと思う。コントロールできることと(内部要因)できないこと(外部要因)を分けてできることに集中することなど、成熟した人間に老成できればと願ってやまない。




と、自分の考えだけとただただ述べても仕方ないと思うので、最後にどういうアクションを取ればよいか、どういうスタンスでいることがよいか、他人に対してどういう接し方がよいのかを簡単に述べて終わりとしたい。

まずアクション。これは『LIFE SHIFT』にもあったが、自分のための活動として「リ(Re)クリエーション(creation)」を行うこと、すなわち年齢を問わず自分の磨く活動を余暇時間に行うことである。自分のことを内相し改善する定期メンテナンスもする必要があると思う。期間は頻繁でなくてよいが。


スタンスは、「価値観は移り変わっていくもの」という認識を持つこと。もちろん自分の大切にしているものはあるだろうが、一方で世間も変わっていくという認識を持っておくことが大切であると思う。これだけで自分の考えが暴走し「老害」と言われることも減るのではないだろうか。


他人に対しては、年寄りだから、今は若いからなどといった年齢観を廃し、「〇〇のくせして」を止めること(前回のnoteでも述べたが周りがとやかくいうことにさしたる価値はない)自分が経験していないことを他人は経験しており逆もまた然りである。



こうした価値観が広がり、誰にとっても生きづらくない世の中になればよいなと思います。

本日はここまでで。ありがとうございました。


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