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【告知】単行本解説と連載評論書きました。

忙しくて更新が出来ていませんでしたが、仕事したので告知です。

まず、3月7日に発売された吉田恭教『四面の阿修羅』の巻末解説を書きました。本作は「東條・槙野シリーズ」という、女性刑事・東條と探偵・槙野の二人が互いの情報と推理をもとに謎を突き止めていくものになっています。この『四面の阿修羅』で七作目で、今回は東條が鉄仮面になった原因でもある姉の死をめぐる物語になっています。

「東條・槙野シリーズ」は<奇想>と呼ばれるジャンルで、その<奇想>というジャンルをより浮き彫りにさせる現代的要因について解説では書きました。ありがたいことに、一部分を帯文にもしてもらっています。Amazonにも書かれているので、下に引用しておきます。

吉田作品は現代を象徴するような何かを焦点化することはほとんどない。どちらかといえば、「人情」や人との「縁」による犯罪捜査など昔から連綿と続くものが事件解決の重要な要素になっている。それこそ、テクノロジー全盛の時代において、これはいささか古く感じてしまう部分もあるかもしれない。だが、やはり現在の話を描いているので、よく眼を凝らしてみると、それこそ「今」を反映している部分が色濃くある。(解説より:藤井義允)

本作の魅力が少しでも伝われば幸いです。

また、もう一つは定期連載の「擬人化する人間――脱人間主義的文学プログラム」の第七回になります。今回は古川日出男論になります。

もう一度読んだもの、今回の論を書くために新たに読んだものとありましたが、作家として非常に面白いと改めて感じました。(昔「週刊読書人」で書いた『おおきな森』の書評を書いたので、それも下に掲載しておきます。)

僕の論は「人間」という定義が壊れてきている中で、どのようにして「人間」は生きていくべきなのか、という問いかけになっているのですが、古川さんの作品は往々にして犬や猫など、「人間」というものを主軸に置いているわけではないところが肝になっています。それは「動物を愛せ」みたいな、それこそ人間中心的なものではなく、動物=人間といった世界観を描いている。

近代はそもそも人間を動物の中の別カテゴリーとして規定していきました。言語学はまさに人間だけが使用する言語を分析する学問であり、科学も自然を対象として観察した結果得られた知見であり、やはりそれも人間の主体が中心になっています。その中で「人間がそもそも動物である」ということがないがしろにされていた面も否めないでしょう。

ポストモダンはそんな人間中心的な考えの解体を行っていったわけですが、逆にそれゆえに人間がどう振る舞っていいかがわからなくなってきている。それをどう考えていくかが重要になってくるのではないかと、僕は考えています。

古川日出男という作家はそもそも「書くこと」によって主体をもう一度存在せしめるようなことを行っています。「全身小説家」といっても過言ではないです。そしてこのような態度が、現在の擬人化している(人間としての懐疑を持つ)人間の置かれた状況に対して一つのアプローチとして機能しているのではないかと考えています。

詳しいことは今回の「小説トリッパー」の僕の論考を確認してもらったり、実際に古川作品を読んでいけばそれがありありと伝わっていきます。ぜひ、読んでいただけたらと思います。

また古川さんは『曼荼羅華X』も発売されたので、ゆっくり読み進めていこうと思っています。これもおそらく「書くこと」に関しての小説なので、非常に楽しみです。(また、読み終わったらどこかのタイミングで感想を書こうと思います。)


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