✨起業を目指してわかった才能を発揮する生き方とは✨
こんにちは。
未来書き換え自分年表認定講師で
自分発信ブログ講師の藤井奈津子です。
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皆さんは、会社組織から離れて
個人でビジネスをしたいと考えたことはありますか?
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先日、以前勤めていた会社の後輩から
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「いつもブログ拝見しています。
今すぐではないですが、いつか藤井さんのように
起業したいと思っているんです。
また相談させてください!」
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とメッセージをいただきました✨
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東京のアパレルメーカーを退職して
もう4年になりますが
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未だにこうやって
想いを伝えてくれることや
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私の発信が届いてご自身の未来を考える
何かきっかけになっていることを
本当にうれしく思います😊
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ということで、今日は
“可愛い後輩ちゃんに届け!”
とばかりに
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私が自分を発揮する至福を感じた
エピソードについて
お伝えしてみようと思います。
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これから起業を考えている方や
自分の才能を発揮する生き方を
模索している方に
何かヒントになったら嬉しく思います🍀
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わたしは幼少期から
自分にも他人にも厳しく笑わない
父の期待に応えたくて
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勉強もスポーツも学校生活も
常に努力を当たり前として
上位の結果を目指してきました。
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しかし、高校に進学すると
18クラスのマンモス校で
いろんな才能を掲げて
入学してきた生徒の中
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どんどんその他大勢に
埋もれていくわたしが
いかに
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【井の中の蛙】
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だったかを思い知り
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キラキラしている生徒たちと
地味なわたしを比べて落ち込み
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中学生までのように
人の前に立って自分を発揮することが
できなくなっていったんです。
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そんな自分を発揮できない
わたしを見た父は
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だんだんと
わたしに興味を持つことも減り
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幼少期から父の期待に応えるために
努力を続けてきたことさえ
虚しくなっていったのです。
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バスケット強豪校の練習は
とにかくハードな生活でしたが
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🌀部活をやめて帰宅部になる勇気もない。
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🌀他のメンバーに負けたくない!
とも思えないし、努力もできない。
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という中途半端な気持ちのまま
ㅤ部活でもクラスでも
わたしという存在を消し
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後にこの高校生活を
「暗黒時代」と呼ぶんですが
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高校時代の一切の記憶を
消し去っていったんです。
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しかし、
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そんな暗黒時代に
自分を否定し続けたわたしの性格が
大学進学や就職で
ガラッと変わるわけもなく
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仕事でやりがいを得たり
魅力的な人と出会っても
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いつも高校生の時のように
「わたしなんかが目立ってはいけない」
「わたしが人から好かれるわけがない」
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と自分を否定し、認められずにいたんです。
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そんな時、主人の仕事の都合で
東京から富山に移住することになり
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会社の許可を得て副業として活動してきた
カラーコンサルタントとして
起業を目指すことにしました。
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しかし、
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起業後あっという間に現れた
ブレーキというのが
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暗黒時代に育まれた残念な記憶
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「わたしなんかが目立ってはいけない」
「わたしが人から好かれるわけがない」
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だったのです。
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東京では
カラーコンサルタントとして
すでに活動していたけど
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「東京のわたしは富山で好かれない。
わたしが目立てば嫌われる」
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と思いこんでブレーキがかかり
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実際に女性経営者の方たちからも
厳しい声をいただいたり
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「男性に媚びている」と言われて
人前で笑うこともできなくなり
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カラーコンサルタントとして
活動することが怖くなっていくと
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今度は主人とのコミュニケーションも
ぎくしゃくするようになって
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希望に満ちてやってきた移住も
気づけば
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やりたかった仕事も
築きたかった新しい人間関係も
もっと仲良くなりたかった夫婦関係も
笑顔溢れる生活も
全て手にできないまま
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暗黒時代の感情が増幅していき
移住して3か月目の梅雨の時期に
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毎日空を見上げて
さめざめと泣きながら
鬱になってしまったんです。
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「わたしは何のために生きているんだろう…」
と自問自答を繰り返し
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すぐそばに孤独と死を
感じずにはいられない。
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そんな時に出会ったのが
未来書き換え自分年表作成講座の
リミッティングビリーフという言葉でした。
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リミッティングビリーフとは?
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幼少期から主に両親との関わり合いの中で
作られる価値観や思考パターンのことで
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0~5歳くらいまでに作られる
両親からの愛情不足による承認欲求の
インナーチャイルドとㅤ
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5~12歳くらいまでに作られる
両親の思考パターンが子どもに
そのままうつる
インナーペアレントと
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この2つを合わせたものを
リミッティングブリーフといって
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大人になってからもずっと
物事の判断基準になっている
というんですね。
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この言葉を聞いた時に
私が苦しかったのは
きっと幼少期の記憶が影響していると
ピンときました。
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しかし、
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それまでも起業にあたって
心理学やカウンセリングを受けたのに
なにも変わらなかったから
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今回もこの講座の受講に対して
半信半疑だったんです。
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しかし、今のわたしを変えるには
もうカウンセラーではなく
「自分自身で過去と向き合うしかない!」
と覚悟して受講を決めると
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たった1週間で、私の記憶から消していた
暗黒時代の出来事を次々と思い出し
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わたしの才能が何かを
自分で見つけ
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「何のために生きているのか…」
という自問自答の負のスパイラルから
抜けることができたんですね。
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この記憶を取り戻した感動の涙は
今でも忘れることができません。
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あなたはご自身で
「自分の才能がこれだ」と
胸を張って人に伝えることはできますか?
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私はずっと恥ずかしくてできませんでした。
カウンセラーや心理学の講師から
どんなに「素晴らしい才能があるよ」
と教えてもらっても
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その言葉を信じることが
できなかったんです。
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しかし、
幼少期からの記憶を棚卸して
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自分自身でまぎれもない才能に気づくと、
それを発揮する生き方をしなくては!と
使命感を持ち、覚悟したんですね。
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そのきっかけというのが
わたしが記憶から消していた
暗黒時代の高校2年生の夏休みのことでした。
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バスケ部の友人から
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「同じ中学から進学してきた
野球部の子が病気で入院してて。
夏休みに暇だったら一緒にお見舞いに
ついてきてくれない?」
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と誘われたんです。
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その誘いに快諾したものの
結果的に深刻な病状で
お見舞いに行くことは
なかったのですが
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その後、野球部の子に
学校で顔を合わすたびに
「調子よさそうだね!」
「治療頑張って!」
と応援していたんですね。
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そして、数か月後
大変な治療を乗り越えた
男子生徒からもらった言葉というのが
わたしにとっての宝物になったわけです。
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その言葉というのが
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「なっちゃんの笑顔は太陽で
応援してくれたおかげで治療が頑張れた。
僕の生きる希望だった」
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生きる希望だって~
大げさな~
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って当時のわたしは
真面目に受け止めることは
なかったんだけど
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25年後にした人生の棚卸で
この記憶がよみがえってくる
ということは
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わたしの生き方にとって
重要な記憶であり
わたしの才能を表す言葉なのかもしれない…
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とさらに自分の記憶を
振り返っていくと
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男子生徒が病気で野球の夢を諦め
自暴自棄になって死すら覚悟していた
夏休みと
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わたしが鬱で孤独と死を
感じて過ごしていた記憶が重なって
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「高校2年生の夏、
確かに私の太陽のような笑顔は
一人の人生を救ったんだ」
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と認めることができると
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“笑顔で人を救うことができるのが
わたしの才能を発揮する生き方
なのかもしれない”
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と思えるようになったんです。
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笑顔で人を救うって
以前のわたしだったら
「どれだけ傲慢なんだ!」
と思っていたでしょう。
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しかし、
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この記憶を思い出してから
「わたしにとっての笑顔とは何なのか?」
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と内観を深めていったとき
それはつまり
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小さかった時のわたしが
いつも厳しく笑わない父に
どうにか笑ってほしくて
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ずっと磨いてきた武器が
わたしにとっては笑顔だったんだ
とわかったんです。
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笑顔が武器なんて
みんな持ってて普通じゃない?
と思ってましたけど
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見方を変えたときに
わたしの笑顔とは
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“命さえ救いたいと思う
祈りと願いだった”
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それくらい
その当時の父の表情はいつも
苦しそうに見えていた
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「わたしがお父さんを救わなければ…」
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と、いつも野球中継と父を
交互に身ながら黙って
ニコニコしていた幼少期の記憶を
思い出したときに
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この笑顔という武器を
両親だけでなく
もっとたくさんの人のために
使いたいと思ったんです。
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また、幼少期の記憶を
思い出していくと
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この武器を授けてくれた頃の父は
当時は仕事で責任のある40代で
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自分にも他人にも
厳しくしていないと
競争に勝ち続けることはできなかった。
そうするしかなかったんだ。
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また、
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高校でわたしに興味を
持たなくなったことも
わたしを追い詰めないように
プレッシャーをかけない距離を
取ってくれていたんだ。
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父は父なりの愛情で
わたしを愛してくれていたんだ
と感じることができたんですね。
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こう思えた時から不思議と
それまでの父への恨みや、
笑わない顔を怖いと思うことは
なくなりました。
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笑わない顔で、頭の中では
わたしの幸せのことばかり
考えてるんだろうなぁ!
なんて思っていますよ。
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わたしは
親からもらった才能を使って
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・今生きることが苦しい人
・頑張りを認めてほしい人
・応援されたい人
・もっとできるって背中を押して
励ましてほしい人
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そのような人たちに
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わたしがカラーコンサルタントや
カウンセラー、ブログ講師を通して
磨いてきた
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“人の才能を見つける才能”
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“魅力を引き出す才能”
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を使っていきたいと思っていますし
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それらの武器を
必要としている人たちに
届けられることこそが
至福の喜びだと感じられています。
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わたしは
自分の才能を「これだ!」と
認められるようになるまで
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起業で売り上げを上げることが
難しかったし、
夫婦関係もお互いにダメ出しばかりで
認め合うことがなかなかできませんでした。
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しかし、今は
未来書き換え自分年表を通して
才能を発揮する生き方を明確に
持てているからこそ
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笑顔で楽しさを伝えながら
まだ気づいてない才能の
活かし方を伝えていくことや
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自分がしてきた体験を
笑顔や励ますエネルギーと一緒に
求めている人に届けていくことを
やっていきますし
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今ではこの働き方を
主人も子どもたちも
協力してくれています。
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また、未来書き換え自分年表を受講された
生徒さんたちには
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いろんなお仕事をされている方が
いらっしゃいますが
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どんな働き方をしていても
自分の才能に気づき
自信を持てるようになった結果
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ずっとセールスできなかった営業マンが
自分の才能を活かしたセールスを知って
営業スタイルがガラッと変わり
次々に成約を決めたり
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ご両親をずっと恨んできた方が
今年のお盆休みに
これまで辛かった気持ちを
腹割って話してみようと決めたり
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お子さんを可愛いと思えず
怒ってばかりいた母さんが
怒らない接し方に変わったりと、
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仕事や人間関係に大きく変化を
感じているんですよ。
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これから個人でビジネスをしたい
という方には
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わたしのように経験があるから大丈夫
と闇雲にビジネスを始めるのではなく
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自分の才能と活かし方を知り
才能を発揮する生き方を
ビジネスという形に落とし込んで
いってほしいなと思います。
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その際には、起業する前の
まだ会社に勤めている間に
1カ月かけて
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自分の才能や特技、ターゲットや
発信の方法などがわかってくる
未来書き換え自分年表作成講座で
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一度じっくり人生を棚卸されると
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わたしのように起業してから
思い込みによるブレーキが
かかることがなく
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自信をもって起業を
スタートしていけるかもしれません。
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これはわたしや生徒さんの変化ですが
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🍀起業したいが才能を発揮できる気がしない
🍀頑張っているのに自分の価値を使えていない
🍀人の期待に応えないとと頑張りすぎてしまう
🍀人の顔色を見て本来持ってる良さを出せない
🍀存在感をアピールすることをためらう
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という方に向けて
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ただいま未来書き換え自分年表作成講座や
リミッティングビリーフについて
詳しく学べる電子書籍を
プレゼントしています。
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下記URLから今すぐ
受け取ってくださいね。
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また現在、電子書籍を読んで
感想をいただいた方と
無料個別セッションを行なっています。
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個別セッションはお申し込み順に
1〜2週間お待ちいただいている状況です。
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たった一度の人生
自分の才能を発揮して
腹割って話せる両親や夫婦など仲間が
増えていくことを祈っています。
未来書き換え自分年表作成講座✨
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