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指示待ち人間になろう

指示待ち人間。
この言葉は、大抵悪い意味で使われることが多い。

「あいつは言われたことしかやらない指示待ち人間だ。」
「指示待ちするのではなく、主体的に働きましょう。」
「指示待ち人間はAIに代わられる。」

まるで指示待ち人間に親でも殺されたような言い草だ。

しかし、これまでの日本社会は上位下達が基本だったはずだ。

上の指示に従って、言われたことをやっていればたんまり給料が貰えた。

現在はどうだろう。

主体性を持て。経営者目線で働け。と言われる一方で、物価は上がるが、給料は上がらず、やりがい搾取で謎の肩書きだけつけられる。

どうしてこうなってしまったのか。
時代の風流で済ませて良いのだろうか。

指示待ちで悠々自適に過ごしてきた人間たちが年功序列でちょっと偉くなっただけで、個々人に主体性を求める。

なんだこの構図は。

会社員はいつだって辛酸を嘗めなければならないのだ。


時代に逆行する

正直な話、僕はピカピカの出世コースを歩んでいる。
僕一人だけ、他の社員とは違うコースを歩いていて、ある意味で将来が確約されていると言っても良いかもしれない。
(あまり詳細に書くとすぐ特定されそうなので、ぼやかしています。)

そのコースを歩んでいる理由は、僕がとびきり優れている、からではない。

地方の中小企業となると、新卒入社というだけで下駄を履かせてもらえる。
ただその恩恵を受けているだけである。

ただ言われた通りに、異動を甘んじて受け入れている。
まさに指示待ち人間なのだ。

よくよく考えてみれば、最初からやりたいことなんてなかったのだ。
どうにか繕って入社して、面談をして、今の箇所にいるが、そもそも無気力の指示待ち人間。
やりたいことを考えること自体が間違っていた。
仕事でやりたいことなんてない。
あるとすれば、弊社を辞めるということ。
それ以外は全て指示待ちである。


指示待ち人間は処世術

冒頭でも書いた通り、指示待ち人間は悪とされているが、無気力人間の僕にとっては、会社員として生きる処世術だ。

指示通り働いていれば、お咎めを受けることはない。一生会社員でいるつもりはない僕にすれば、それ以上に望むことはない。
コスパ最強なのである。

会社の未来がとか知ったこっちゃない。
そう思うなら、そう思っている人が努力すればいい。創業社長ではないのだから、ダメになろうがどうでも良い。
むしろダメになった方が辞める理由が簡単でいいとすら思っている。

指示待ち人間は最高だ。


指示待ちをするということ

指示待ちをするということは、ある意味で僕の中では正しい行動なのである。
ひ◯ゆきだかも言っていたが、真面目に働く必要はない。所詮雇われの身である。

さらに、僕が思うところは、今日、指示に対して的確に応えている人間がどれだけいるのかということだ。
指示待ちが徹底に叩かれてから、自立心を求められているが、その反動で、「自分には何かができる」と考えてしまう勘違い人間が大量発生している。

何もできないのに、勝手にやって、周りに迷惑をかけ続ける。しかし、当の本人は全く反省するつもりはない。むしろ、やってやった感を出す。

指示待ち人間を蔑ろにしてきた弊害が出ているのだ。

武道であっても守破離が大切だと教え伝えられているのに、いきなり破から進めようとするのである。

僕は流儀に則って、守を徹底的に極めるのである。
そして、守のまま終えようではないか。

ぬるま湯最高。

誰ががぬるま湯は一番風邪を引くといっていたが、半身浴は大抵ぬるめだ。
そして、それが健康に良いとされているんだから、それでいいのである。

無気力のまま、指示待ち人間で生き続ける。
それが僕の人生設計。


では、また。

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