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『書く仕事がしたい』VS『本を出したい』

数年前、佐藤友美著『書く仕事がしたい』を読み、書いて生きるのも良いなと思って、このnoteを開設して、ブログを書き始めた。

 「書いて生きる」と「書く仕事をする」のはたぶん同じこと。文章を書いて金を稼ぐということだと思う。noteでブログを開設した後、書くのが嫌になったり、何かを書きたくなってブログを再開したりしながら、何を書いて生きるのかをずっと考え続けてきた。

 わたしは、今まで文章なぞ、とんと書いてこなかったし、文章で食べていくなんて若い頃は思いもしなかった。子供の頃にどんな職業に就きたいかなんていう、ベタな質問をされたときは憧れだけで答えていた。そういえば、小学校の卒業文集に「なりたい職業は小説家」と書いていたっけ。これも憧れだけで書いていたと思う。なぜなら、中学、高校、大学と物語をつくるなんて全然してこなかったし、そもそも国語が苦手だった。国語が苦手だから、進んだ道は理系だった。大学は工業大学を卒業したし、就職した会社は、IT系の会社だった。そんな自分が書いて生きていきたい、書く仕事がしたいなんて、人生のどこで、進みたい道を直角に曲げてしまったのか。歳のせいだろうか。

 書いて生きるのであれば、ライターとして仕事を獲得していかなければならない。当然、文章力は必要だと思った。今までの仕事が、営業、コールセンターと会話がメインの仕事だったから文章力向上の努力はしてこなかった。そのため、文章術の本を読んで、稚拙だった文章力を上げるよう努力してきた。ライター講座も受けた。ライター講座は文章力向上半分、ライターとしてどうやって仕事を獲得していくか半分という感じだった。『書く仕事がしたい』の本は、書く仕事を獲得していくにはどうしたら良いかが具体的に書かれていた。わたしの知人に、この本を読んで、行動したことで実際にライター仕事を獲得したという人もいる。それでも、わたしは、ライターとしての営業活動には二の足を踏んでいる。取材できます、取材して書けます、SEO記事も書けますと営業活動していれば、今頃は書く仕事をしていると思う。なぜ、営業を積極的にしようという意欲が湧かないのだろうとずっと考えている。書く仕事をする人には、作家と作家以外がいるという。このことについて書いて生きていきたいと思ってから、ずっと考え続けている。

 あるとき、ふいに気がついたことがある。人は、歳をとればとるほどに経験を積んでいく。人生経験というものはその人にしかない経験だけれど、他の人がその経験を追体験するようなことができるのであれば、自分の人生が意味のあるものになるのではないか。今まで文章を書くことを全くしてこなかったわたしに何か書きたいという心が芽生えたのは、自分の経験が誰かの役に立ってほしいと、心の奥底の叫びが湧き上がってきたからではないか。そんな気がしたのだ。

 先日、『書く仕事がしたい』の著者である佐藤友美氏が、『本を出したい』という本を出した。この本は、自分がコンテンツを持っていれば、文章が書けなくても、著作者になれます、本を出せますよと解説している本だ。この本を読んだら、自分の心の中でストンと落ちた音がしたように感じたのだ。何故わたしが文章を書きたいと思ったのか。自分の人生経験の中で育ててきたコンテンツを人のために役立てたいという思いが湧いてきたからかもしれないと思った。わたしは、今、ずっと考え続けている書いて生きていくことについて、もうまもなく最終コーナーかもしれないという気がしている。

 今年の1月から3月に上記2冊の著者である佐藤友美氏が主宰する『さとゆみビジネスライティングゼミ』を受講し、先日、卒業した。このゼミは文章力を向上させること、取材力を上げることと同時に、自分の中にあるコンテンツを棚卸し本を出す企画を考えることをさせてくれた。人生の棚卸しと自分のコンテンツを考えることで、わたしが書きたい衝動はこれなんだと思ったのだ。

 人生経験を書く。これは小説として書こう。自分のことでもフィクションとして書けば、よいのだから。もう一つ、自分がこれまで培ってきたコンテンツ。これは、今、もっと充実させるためのまとめをしようと思っている。折角、書いて生きていくのだったら、自分が書きたくないことを書いて生きるのではなく、自分の書きたいことを書いて生きていきたいと思う。


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