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【ショートショート】エモーショナル・カプチーノ

 放課後の学生やデート中のカップルでごった返す夕方の某カフェ。あちらこちらから中身のない話し声が飛び交う中、七百三十円のカプチーノをゴクリと一口飲む。すると、それまでよりもいくらか大きな声で、中身の伴いそうな話を彼氏の義太よしたが切り出した。

「あのさ、由香ゆか。俺、会社を辞めようと思う」
「は? どうして? 理由は?」
「ロックバンドを組むから。ギターとか弾けたらカッコいいかなと思って」

 ベタだな、漫画かよ。

「ブライアン・ジョーンズとか、ジミ・ヘンドリックスとか、ぶっ飛ぶくらい凄い奴は二十七歳で亡くなるって言うじゃん。俺も早くそんな風になりたいんだ」
「なりたいって……アンタもう二十九でしょ」
「四捨五入したらまだ二十七だし、問題ないって」

 その四捨五入はぶっ飛んでるな。

「ギターの練習も始めたんだ。Fコードも十回中七回は上手く押さえられる」
「ちなみに、それ以外には何かしてるの?」
「『けいおん!』っていうアニメを見てる」

 せめて『BECK』にしない?

「バンドメンバーだってほとんど集まってる。あとはベースとドラムだけ」
「それってさ、仕事との両立は無理なの?」
「無理というか、それはやりたくない。Youtuberも言ってたし、二兎を追うものは……一兎を萌えず?」

 萌えようとするな。

「実を言うと、会社にはもう辞表を提出したんだ。それくらい本気」
「これからはバンド一筋ってこと?」
「大丈夫、由香のことも変わらず愛してるよ。一緒に武道館の景色を観に行こう」

 やかましい。

「絶対になるから、人の心を動かせるバンドマンに――」

 なんだかんだ思いつつも、そんなセリフを言い放った彼氏の義太には感心していた。なにせ見ず知らずの私の心をたった今動かしているのだから。主に彼女の由香を憐れむ方向に。

 隣のカップルの明日を憂いながら、私は残りのカプチーノを飲み干した。


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