理系か、文系か


「これからの文学者は自然科学的訓練が必要である」
芥川龍之介が、そんなことを言っていたらしい。もっとも、本人は高校から文系で、弟子の堀辰雄は大学で文系に転向。そのまた弟子の立原道造まで来て、ようやく最高学歴を理系で終えることとなる。
ちなみに、この三者はいずれも、府立三中→一高→東大の出身。これについて、中村真一郎は「芥川が自分で果たさなかった願望が、後輩のなかで徐々に実現して行ったとも言える」と、書いているのだが。僕は、ちょっと違う感慨を抱き続けてる。
立原が、詩人としても建築家としても、将来を嘱望されながら、結核により、24歳で夭折した事実に、つい想いを馳せてしまうのだ。それはもしかしたら、ニ物を与えてしまったことを後悔した天が、下界から早めに呼び戻した、ということなのではないか、と。学問の世界において、理系と文系という区分が存在する理由のひとつは、それを両立させることが難しいからで、にもかかわらず、その両方を極めようとすることは、人間から神へと近づこうとする行為、にも思えてしまう。
そういえば、芥川は遺書において「みずから神としたい欲望」という言葉を使った。自分もかつては、そういう神格化願望を持っていたのだが、今は「大凡下の一人」にすぎない、と告白して自殺したんだっけ。
(と、ここで時間がなくなったので、あとは②以降で書きます。なんか暗い感じの中断だけど、次回は自分の過去話とかも出して、暗すぎないほうに持っていくつもりですので…)


「とにかく君が二十歳でこれを書いたということは、生命へのおそろしい反逆でもあるんだよ。(略)君より少し大人であるだけに、僕は法則の違反者に対する自然の残酷な復讐の例を見て来ている」(三島由紀夫『ラディゲの死』より)
コクトーは、若くして完璧な心理小説を書いた弟子が、それゆえに悲劇的な死を遂げるのでは、と危惧していたが、それは的中し、ラディゲはその傑作の出版直前に、熱病で死ぬ。「三日のうちに、僕は神の兵隊に銃殺されるんだ」という言葉を遺して。
理系と文系の両方を極めようとすることも、もしかしたら、生命への反逆なのかもしれない。だが……ラディゲのような早熟の天才が、滅多に現れないように、立原道造のように、詩人でも建築家でも一流になれる者も、そうそういるわけじゃない。
つまり、芥川のいう「自然科学的訓練」は、ほとんどの文系人間にとって、やはり有効かつ必要なのではないか。
というわけで、自分の話。僕は、高三の夏に、国立文系から私立文系にコース変更したため、理系の知識は、ほぼ高ニレベルで停まっている。恋や文学が面白くなりすぎて、受験勉強に割く時間がもったいなくなったのと、卒業後は、東京に出たくなったからでもあるけど(残念ながら、東大に行ける学力はなかった…)理系の学問と早くオサラバしたかった、というのが根底にある。
ではなぜ、理系と早く別れたかったのか。
(続きは、③で書きます)


理系と早く別れたかった理由。それは、父親との関係から来ている。息子に、ノーベル物理学賞受賞者と同じ名をつけた彼は、医者にでもなってほしかったらしく、実際、それを口にしていた。
一方、物心つく頃から文系人間であることを自覚していた息子は、その期待や願望をうっとうしく感じ、さっさと理系の学問に、縁を切ろうとした、という次第。(これは、父親から離れたかったからでもあるんだろうな)
ただ、芥川が言うように、痩せ姫について書くにしても、自然科学的訓練は、必要かつ有効なわけで。もうちょっとやっとけばよかったかなぁ、的な後悔を、その後、何度となく味わった。
結婚相手に、医者を選んだのも、理系的感性を補完したかったからだろうか。いや、それよりは、子供の頃からの女医(&医者の娘)萌えが、大きそうだな、おそらく。でも、結果として、父親も喜んでたから、よしとしよう(笑)
そんなわけで、僕が理系と文系を極めようとすることの難しさを説くのも、早々と理系をあきらめた自分を正当化するため、というところもなくはない。だからこそ、両方に挑み続ける人をリスペクトしつつ、その難しさも、真理だとは思うので、うまくバランスをとってほしい、と願ってたりもする。
とまあ、自分語りもしちゃいましたが…(恥)「理系か、文系か」というテーマに限らず、完璧さを目指すほど、バランスって大事なんだろうな。


(初出「痩せ姫の光と影」2010年7月)


当時親しくしていた痩せ姫が、理系も文系も極めようとしていたというのもあって、書いた記事。自分自身の選択を、再分析するきっかけにもなった。それにしても、当時小学生だった自分の息子が芥川たちの後輩になるとは。彼は典型的な理系人間だと思ってたが、大学の途中で文系に転じた。


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