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祇園祭の宵々山からの忘れもの!

7月17日:京都の祇園祭(本祭り)

  16日:宵山(前夜祭)

 今夜は祇園祭の宵山だ。
近年、私の中の祇園祭は 遠き昔の思い出の詰まった懐かしい絵巻物になっていた。しかし、一つだけ私は「忘れもの」をしている。
今夜は宵山 その「忘れ物」を その人に伝えたいと思いました。


 学生の頃 他県から京都の大学に来ていた人を祇園祭、それも夜の方が 見ごたえがあっていい!と思って、案内したことがありました。

長刀鉾町で育った私は お祭りの前夜祭 つまり「宵山」は身動きならない程の人出があることを知っているので「宵々山」と言って15日の夜に案内することにしました。
その当時、「鉾」や「山」はそ現在ほど多くはなかったけれど、案内すると言っても ただ見るだけでクタクタになるくらいでした。

大した解説もせず、ただ長刀鉾を皮切りに函谷鉾、月鉾そして山の数々を
コンチキチンの笛や鐘のリズムの中、鉾の周りに吊り下げられた鉾専用の長提灯に灯されたオレンジいろの光の中白地の浴衣すがたの若者が奏でるお囃子が 見る者の感情を沸き立たせてくれました。

私たちはまず、案内する彼の言葉通り、私の家に行き、母に彼を紹介して出かけました。その折、母は「一回りしたら、ここへ帰って来るやろ!」と だけ言いました。私は帰れると思っていたので、「うん」と返事しました。

ところが、案内しても案内しても鉾や山は一向に終わりません。途中でくたびれ果て、祇園祭の案内はあきらめてその日泊まる私の嵯峨野の家に向かったのです。

疲れました。後から思い出しても、なにかもっと気の利いた案内の仕方がなかったのか!と。でも、当時の私にはそれが精一杯のことでした。
今でもそんな案内しかできないでしょうねえ。

翌日、四条に帰宅すると、母が「夕べ 待ってたんえ!」と、言うのです。私は「え?!」と思いました。
「お母ちゃん、あんたたちのお弁当作って待ってたんやけど、帰って来ないんで…」と、母親手作りの塗りの大きな幕の内弁当を見せられ、驚きました。そこには 鯛の塩焼きや伊達巻など母親にしてこんなお弁当見たこともなかったんです。
だって、「帰って来るんやろ?」と言われただけで、お弁当を準備してる なんてこれっぽちも聞いてないもん!
それ、聞いてたら、取りに帰って来るのに…
当時の私は その言葉さえ飲み込んでいました。

今から思えば、私たちは こんなに言葉足らずの母娘だったんですね。

案内した彼には そのことを 伝える機会のないままお別れして云十年が 過ぎてしまいました。

今、宵山を迎える前の夕方 蝉時雨が「夕立が来ないように!」と、わんさか鳴いています。

どうか、神様 この母の幕の内弁当を作って待っていてくれたことだけは 
彼に 届きますように!

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