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生命力と、地平線

さてさて、先程ちょっと書いた「せいめいりょくと繋がるセッション」の内容。

今回は図で行ってみます。

ビフォーは超絶アタマ人間だった私↓

アフターはせいめいりょくに繋がることを覚えた私↓

何が違うって、地平線の位置が違うの。この違いはすごく大きい。

◾️アタマ人間の頃って、頭が自分の世界の中心だったのね。そこから世の中を眺めてる。頭って比較検討したり、敵が隠れてないか探して対処法を考えたり、っていう基本ネガティブ・アラ探し担当なので(でもこれ生き延びるための大事な機能よ!)ここが自分の世界の中心地になってると、もう大変。

自分と他人を比較して、もちろん自分の方が問答無用で下にいて(だってもう頭より下は地中に埋もれてるからね)地上にいる楽しそうな人たちを、いいなーと眺めてた感じ。

そして思考というのはどこまで行っても相対の世界なので、いつでも自分の所在は宙ぶらりん。自信?どこにもなかった。もしくは他人と比較して「自分の方が優れてる」と思えた時だけ、ニセの自信(優越感)には浸れたけど、これも相対の世界だからマボロシだよね。いつでも崩れ去るから不安でしかない。

首から下はスッカスカ。頭で考えた方向に動く時、下半身は頑張ってついて行くけど、もう引きずるようにしてついて行くから、動かない動かない。エネルギー、どこからも湧いてこないんだもの。

いわゆる鬱の人ってこういう感じだと思う。私は鬱としての診断は受けてないけど、物心ついた時からずっとこんな感じのアタマ人間で生きてきたよ。

◾️せいめいりょくに繋がってみると。地平線が変わった。骨盤が私の世界の中心に。

この「地平線の位置が変わる感覚」体験してみると劇的だと思う。

手に入るのは「絶対」の感覚なんだ。頭の世界の無限にわちゃわちゃする相対じゃなくて、骨盤に中心が据わると、、

もうでっかい筆で「不動心」って書きたくなっちゃうぐらいの揺るぎない自信と安心が芽生えるよ。この揺るぎなさ、すげーーーーよ。

そして骨盤はもう、豊穣の海みたいなところでね。無限にエネルギーが湧いてくる。うれしい!いきてる、たのしい!みたいなのが、汲めども尽きぬ感じで湧いてくる。

ここから湧いてきたエネルギーは、そのままだとただの荒々しい野生のエネルギーなんだけど

(崖の上のポニョ覚えてる人いるかな?ポニョはこの無垢な生命力の象徴だよね。思いっきりピュアだけど、街をも沈める荒々しいエネルギー。そしてフジモトは対極の、思考の象徴だ)

この荒々しいエネルギーはハートの繊細さを通過して、例えば腕から手を通して、優しさとして人に手渡すこともできる。そしてそのエネルギーが頭へ行くと、、

この時、主は生命力。従が思考。

これだったのか!アタマの正しい使い道!と分かったよね。

絶対の中心地がないままくるくるくるくるくるくるくる無限に空回りしてた時と違って、頭は、必要ない時はいくらでも黙っていてくれる。

そして必要な時、、そう、荒々しい生命力をこの現実世界でどう使おうかな?と判断が必要な時だけ、ビシッバシッといい仕事してくれるようになったんだよね。。

骨盤から湧いてくる「せいめいりょく」は別に私一人のものじゃあなく、世界に、宇宙に遍在しているニュートラルな力なんだと思うけど、その力をそれぞれの個体が骨盤でキャッチして、それぞれの色を持った体の中を通す時、それぞれの個性あるかたちで世の中に還元される。

こうして「せいめいりょく」に繋がると、まず誰かが自分よりスゴイとか思うことが間違ってもなくなるし、自分以外のものになろうと努力することもなくなる。

何かを目指して、そこに向かって動くんじゃなく、自分はただ自分の真ん中にどかんと座っているだけ。ぜんっぜん、視点が変わる。

そして生きることの意味合いが変わってきて、骨盤から無限に湧いてくるエネルギーを、どう世の中に分かち合おう?どうやって遊ぼう?という感じになってきます。

そうすっとだな、それで喜んでくれた人が、お金とかその他のカタチで色々返してくれるんだな。うーん、豊穣の海!

この話はいくらでもいろんな方面から語れるんだけど、今日のところはこのへんで。

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