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もともと地上に道はない。みんなが歩けば道になる。

~ 祖父・江田五月から学んだこと ~

 7月28日、祖父江田五月が亡くなった。社会の事を常に考え、行動する祖父の背中を見て育ったことは、今の僕の原点ともいえる。その原点を作ってくれた祖父を失ったことを未だにどうとらえたらいいかわからず、いまいちスイッチが入らない日々が続いている。

 兄が祖父についてnoteに投稿しているのを見て、僕も何か書いてみようかなと思い、ずっと何も書いていなかった個人のアカウントを引っ張り出してこの記事を書いている。

 この記事で初めて僕の事を知ってくれ、「お前だれ?」と思われた方は、ぜひこちらのアカウントを見てほしい。

 僕の祖父、江田五月は、裁判官を務めたのち、父(僕にとっては曽祖父)である江田三郎の遺志を継いで、参院全国区に出馬した。江田三郎は戦前、大学を中退して農民運動に関わり始めて以降、社会の中で奮闘してきた人物だ。戦後は国会議員を務め、社会党書記長や委員長代行などを歴任した。政権交代ができる政党づくりを目指して、教条主義的になりがちな社会党の党改革に意欲的に取り組んだが、党内の反発が大きく、ついには社会党を飛び出して、「社会市民連合」立ち上げを宣言する。その矢先、曽祖父は急逝した。

 祖父は大学時代こそ、安保闘争に東大自治会の委員長として参加し、盛んに活動していたが、その後は裁判官となり、政界に関わるつもりはなかったようだ。しかし、父親の亡くなった日が自分の誕生日だという事に気が付き、自分が出馬することを覚悟する。祖父は初当選を果たして以降、足掛け40年に渡って衆参両院で国会議員を務め、細川政権では科学技術庁長官、2009年には参議院議長に就任した。その後、菅直人内閣においては、参議院議長経験者として初めて入閣し、法務大臣や環境大臣を務めた。

 祖父が逝ってしまってから一週間、様々な報道や、お世話になった方たちのお話を聞いていて、祖父が役職にこだわらず、気さくに様々な方たちと接し、市民の中から社会をよりよくしていこうと懸命に働いてきた人物だったのだなという事を改めて感じた。

 孫という立場から見た祖父は、割と陽気で、実は少し子供っぽいところがあって、好奇心旺盛、色々な事を知っている大好きなジジだった。今思えば、祖父は、政治の世界で重要な役割を担い、ともすると「自分は偉い人間なんだ!」と勘違いをしそうなところを、常に自分も他の人たちと同じ1人の市民であり、夫であり、父であり、ジジであるという事を忘れずに生きていたのだと思う。

 そのお陰で僕は、一般的に持たれがちな「政治家は偉い人」「自分たちの住む世界とは違う場所にいる人」というイメージを持たずに育つことができた。政治というのは何も特別の物ではなく、私たちと同じ、市民によって営まれるものなんだ、という事が、私の中にしっかりと根付いているのは、祖父のお陰と言えるだろう。

 僕が政治に興味を持ち始めてからは、度々祖父と政治の話をした。今年の6月、祖父としっかりと話ができる時間はあまり残されていないのではないか、と思った僕は、週末を利用して急遽、岡山の母の実家に押し掛けた。すでに体調があまりよくなく、窓辺の椅子に座ってうつらうつらしている時間が長かった祖父だが、僕が隣で勉強していると、少し元気が出た時に「さて、ジジの特別講義を始めようか」と言って、話を聞かせてくれた。

 祖父が逝ってしまい、改めて録音した音声を聞いてみたところ、まるで次世代に向けたメッセージのように感じられたので、その要旨をここで皆さんと共有したい。

 祖父は社会を見る時に、表面的な部分にとらわれず、歴史や、社会の仕組みの根底にある思想に目を向ける必要がある、という事を教えてくれた。

 例えば、僕が政治的中立性を謳って「Colorful democracy」という団体を立ち上げようと考えていると話した時は、こんなアドバイスをもらった。「政治的中立性といったって、今の世の中だけを見て真ん中を取るのではだめだ。歴史的な視点を持ってみたほうがいいよ。歴史をみていると、社会全体が、左に寄ったり右に寄ったりしながら螺旋階段のように変化してきているんだ。だから、今の社会自体が既にどちらかによっていたら、その真ん中をとったとしても、偏った活動になってしまう可能性がある。」

 祖父の逝去にあたり、党派を超えて様々な方たちがお悔やみの言葉を述べてくださっていた。その事から、祖父が、言葉の通り、対立を作りすぎずに、寛容さを持って様々な人と一緒に社会をよりよくしていこうと働いていたのだな、という事が伝わってきた。祖父は「江田五月・民主主義の五原則」の1つとして、「自分の意見を冒険に出す勇気が必要」と何度も聞かせてくれたことが思い出される。祖父はその言葉をしっかりと実行しながら生きてきたのだな、という事が伝わってきた。

 曽祖父・江田三郎も、著書「日本の社会主義」の中で、1つの考え方に執着してしまう事の危険性を説いた。曽祖父は、当時の社会主義運動が、社会主義社会の到来は「歴史的必然」と繰り返すのみにとどまって、教条主義化していることを指摘し、常に創造的な営みを繰り返すことの重要性を説いた。

「社会主義の思想が本来のみずみずしい生命力を失わないためには、その思想の正しさを信じて新しい社会の実現のためにたたかうすべてのものが、それを1つのできあがった教義と考えるのではなく、自分たち自身の独創的ないとなみをつうじてその内容をたえず豊かにしてゆくのでなければならない。それは、人びとの関心や希望や悩みのあらゆる領域に真実のかかわりあいを見出してゆかなければならず、それぞれの時代の問いかけに答えることができなくてはならぬ。」

 曽祖父にとっては社会をよくしていく手段は社会主義だった。祖父の時代や僕たちの時代における社会主義の持つ意味は変わってきているだろうが、1つの考え方にとらわれずに、常に創造的な取り組みを続ける姿勢の重要性は、現代にもつながるのではないだろうか。

 曽祖父から祖父へと受け継がれた、常に1か所に安住することなく、よりよい場所を目指して歩み続ける姿勢は、次の言葉に象徴されるように思う。

   「もともと地上に道はない。みんなが歩けば道になる」

 もともとは中国の作家、魯迅の言葉なのだが、曽祖父が上記のような言葉に訳し、座右の銘としていた。それを祖父も引き継ぎ、大切にしていた言葉だ。

 祖父にはまだまだ教えてほしいことが沢山あった。喪失感は非常に大きい。だが、それと共に、僕もより良い社会を作るために、1歩1歩積み重ねることを忘れないことを約束したい。

 祖父が別れ際や、電話を切るときに、必ずと言っていいほど、「頑張れよ~」と言ってくれていた事を思い出す。これからもいつもどこかにいるだろう祖父が、「頑張れよ~」と見守ってくれている事を信じて、頑張っていきたい。

                   2021年8月5日 松浦 薫


 

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