見出し画像

根を下ろさない生き方

1983年生まれ、現在34歳の僕のこれまでの人生は、「安定」とは程遠い。
比喩でも大げさでもなく、いつも「3年後の自分が何をしているか、想像もできない生き方」をここ10年近く続けている。

大学を卒業してから12年間の僕の職業遍歴を、一通りさかのぼってみよう。

大学のとき、新入社員としてそこそこ大きなメーカーに就職したときは、「これで安定した生活が約束されたのだろう」と思ったし、同時にそのことに絶望もした。
「ああ、これで僕はもう40年先までの人生が、大方決まったのか」なんて思ったからだ。
ブラック企業というほどではないが、典型的な昔ながらの日本企業で、有給消化率は非常に低く、10日を超えるような長い休みを取るような社員は皆無だったから「僕にはもはや40年間夏休みはないんだな」なんて考えたりもした。

ところが。

実際そこに至ってみるまでちゃんと考えてこなかったのだが、どうやら僕は「安定した生活」に向いていなかったらしい。

そういえば大学生の頃まで、たまたま僕に「学校の勉強」が向いていたというだけの理由で、さほど苦労もせずに「優等生」を演じてきただけで、自分はどういう性格なのかとか、自分は何がやりたいのかとか、自分に向いているものは何かとか、そういうことに向き合ってこなかったのだった。

僕は、勉強はできたが、仕事はできなかった。

与えられた問題を解くのは得意でも、自分で一日のスケジュールを決めて、戦略を立てて、相手(顧客やビジネスパートナー、上司など)と交渉しつつ効率よく成果を出す、なんていうことは、これまで僕がやってきた学校の勉強とはまったく別のことだった。

今考えてみると、僕はたぶん、診断名はつかない程度ではあるがADHD(注意欠陥多動性障害)に近い性質を持っているのだと思うし、仕事がまったくできないというより、その頃はまだ「自分にあった仕事の仕方」をつかめていなかったというだけなのだと思う。

だけどその頃にはそんなことはわからない。入社三ヶ月で僕の教育担当になった先輩から言われた「お前には何一つ取り柄がないな」という言葉は、僕の自尊心を粉々に打ち砕いた。
自信を失った僕は仕事に行くのが怖くなり、体も壊した。
それでもなんとか仕事を覚えようとして、優れた営業マンになろうと努力して、そのときに愕然とした。
よくよく自分の胸に手を当てて考えれば、僕は全然、優れた営業マンになんてなりたくなかったのだ。
自分の会社で売っているものがもし10倍売れるようになったとして。僕が売上10倍取れるスーパー営業マンになったとして。
そういう将来を夢想してみて、「それって全然、僕にとってはうれしくない」と気づいてしまったのだ。

だから僕は、退職を決意した。
今から10年前。会社が昔ながらの企業だったことも併せて、まだまだ旧来的な考え方が支配していた。
「ここを辞めたらどこでもやっていけないぞ」「少なくとも3年は続けないと、どこの企業も雇ってはくれない」
今ではまるで都市伝説になっているようなそんな旧態依然とした言葉を、本当に言われた。

結局、僕はそれらの言葉の呪いを断ち切ることができなくて、辞めるまでに3年以上かかった。
呪いを断ち切ったのは、同居していた恋人(今の奥さん)の言葉だった。
「毎日苦しんでいるくらいなら、やめちゃえばいいよ。なんとかなるよ」
僕はずっと、その言葉が欲しかったのだろう。
次の仕事も決まらないまま、不安を抱えながら、だけどきっぱりと選択をして会社を辞めた。

これは色んな所で話しているのだが、僕はそのとき、はじめて自分の自我がちゃんと「生まれた」と自覚している。
それまではまともに「生まれていなかった」とさえ感じているのだ。
考えているようで、考えていなかった。選んでいるようで選んでいなかった。

ここから先は

2,649字

¥ 100

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

文章を読んでなにかを感じていただけたら、100円くらい「投げ銭」感覚でサポートしていただけると、すごくうれしいです。