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なぜラノベのコミカライズは爆発的に売れるのか

ライトノベルの傾向

結論から言うと、
ライトノベルが面白くないからだと思います。

ライトノベルのコミカライズが大潮流となっていますよね。
特にウェブ小説(なろう)で顕著なようです。
さらに言うならば、書籍化というステップをとばしていきなりコミカライズすることも増えてきました。

『片田舎のおっさん、剣聖になる』なんてのはAmazonレビュー数が7000超(2023年10月現在)です。

コミカライズの流れがどうして爆発的に生まれているのだろう?
もっと言うならば、なぜ版元はそのような行為に及ぶのか?

この謎を解明するために、我々はアマゾンの奥地へと向かった……。

なんてことはなくて、
ラノベ原作とそのマンガ化作品の読み比べを行いました(母数7作品)

そうして判明したことは、
ライトノベルがつまらなすぎるからだ、という事実にたどり着きました。

要素を分解すると
1️⃣ライトノベルがつまらないため、読者がマンガに流れる
2️⃣ライトノベルがつまらないため、読者が原作に流れない

この2つになると思います。
もちろん、コミックという媒体がそもそも読まれやすかったり、電子書籍市場をコミックが独占しているからということもあるでしょう。

けれども私が考えるに、
原作よりコミカライズの方が圧倒的に面白いという逆転現象が起きているからです。

少し誇張して言えば、
マンガ化されてようやく読めるような作品になった
ということだと思います。

ライトノベルはつまらない

ウェブ小説の青田刈りの弊害でしょう。
実際、どのようなところが読むに耐えないのか、その理由を3つあげてみます(興味ないならスキップしてください)。

1.物語ではなくプロットを読まされている
2.キャラの行動が刺激への応答ではなく反射である。
3.心情描写が少ない

まず1番目ですが、物語ではなくプロットを読まされている。例えるならば、時代小説ではなく日本史の教科書を読んでいるような感覚に陥ってしまうことでしょう。作者さんの考えた設定集や骨組みをひけらかされているという印象です。事実や出来事だけがパッパッパと流れているだけなんですよね。このための改善案は、物語を動かすのは人間(特にメインキャラ)だと認識することではないでしょうか。勝手に天変地異が起きたり、どこかの誰かのアクシデントを被ったり、とかそんなことで魅力を感じません。人の悲劇や宿命、身から出た錆によって出来事のほうが変化を促されること。それが大切です。出来事で人が動くのではない。人が動いて出来事が起きるのだ。

2番目は端的に言うと、キャラクターを過剰に記号化しているということです。具体的な例をあげましょう。あるドMの騎士とドSの令嬢がいます。そして変態的なドMが変な言動を起こして、それにドSの令嬢が侮蔑的な言葉や暴力を振るう。ドM騎士がさらに喜ぶ。こういった遣り取りが何度も繰り返されるわけです。これは応答ではなくて反応です。すべてが分かりきっている。人間の面白みというのは、Aという作用にBという反作用が起きるという単純さではないのです。Aという作用に、無限の反応が考えられること。それが物語に深みを与えます。
寄席に参加したことはありますか。落語はたくさん存在していますが、噺はあるていど型があるんですよね。それなのに何百年も愛されているのは、キャラが魅力的だからです。能も狂言も、ある程度キャラクターは記号化されています。それでも落語と同じく400年以上受け入れられている。弥次さん喜多さんも、ホームズとワトソンも同様です。それは記号化だけにとどまらない人間の〈応答〉にミソがあるのです。
上にあげたキャラクター像は魅力的なライトノベルに見られます。けれども、売れているラノベはある程度キャラの記号化を行いながらも、そこに反応ではなくキャラ同士の応答が起きていることを確認してください。

3番目は心情描写の少なさ。これは売れているラノベと比べたら明らかでしょう。ウェブの多くの小説は骨粗鬆症ですよ。深く踏み込もうとは思いませんが、
あなたが感動した時、あなたが笑った時、なぜ泣き・笑ったのですか。
それは、その人物の心と自分を重ねたからではないですか。主人公の葛藤そこからの成長に人は涙するでしょう。心情描写をなくして面白い作品はないとぼくは考えています。

…だからマンガ化される

こういった理由を考えた時、
・マンガは心情描写をしなくて済む
・マンガは画力によって魅力が増す
・マンガは幼い表現などが姿を隠している

ということがわかるでしょう。
つまりライトノベルの欠点がマンガというメディアの特質によってうまくごまかせている。だからマンガでは売れてラノベでは売れないという現象が起きているのではないかと考えます。


模倣はいつまでも模倣だ

そのうえで、私は言いたい。

ライトノベルを模倣してもライトノベルにはならない!


ウェブ小説を読んで感じたのは、これはライトノベルではなくて別の何かだということです。ライトノベルを模倣してもライトノベルにはなれないのです。
こういう考えは前近代的哲学思想ですが、模倣が本物にまさるわけないのです。食品サンプルがどれだけ本物を真似ようとも食品にはなれないのです。だからこそ、ライトノベルを書いてる人にはぜひライトノベル〈以外〉に触れてほしいです。

例えば、
・ギリシア神話
・歌舞伎や落語
・一般文芸   etc…

そういった作品に触れることで、より面白いライトノベルが生まれてくると思います。
ギリシア悲劇を読んだところで、それをそのまま今の時代に当てはめることは倫理的にも物語論的にもうまくいくとは限らないでしょう。それでもなお、2000年を超えて人を魅了してきた(今なおしている)という実績があります。そしてギリシア悲劇を読んでなにも感じない人はいないでしょう。神に振り回される人間の弱さ、運命に振り回されるやるせなさ、そして人間讃歌。そこに素晴らしさを感じたら自分の作品に援用すればいい。もしそこに反感を買うなら、そういった英雄の悲しき末路を物語の主人公(=英雄)によって変えていけばいい。


最後は説教くさくなってしまいました。けれど私は本当にラノベが好きで、ラノベにしかできない表現や可能性があると信じているのです。
だからこそ、今後も素晴らしい物語が作られることを楽しみにしています。

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