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本にまつわる本を読む【雨の日は本を読みたい】

気に入った一節

本屋は本に書かれてない言葉を聞ける場所で、本に封じこめられたものを再び外にひらくきっかけもつくれる

(『本屋という仕事』)

日本も梅雨入りの季節となりました。
豪雨や線状降水帯もすでに発生しています。
こんな季節だからこそ、晴耕雨読。
雨音に包まれながら、ゆっくりと流れる時間に身を任せましょう。

ということで今月は「本にまつわる本」をテーマに書籍を読みました。


コミック

本屋図鑑 コミックエッセイ

書店員の仕事を綴る書籍はたくさんある。だけどみんなが想像するチェーン店の内情を知れる機会は少ない。ノンフィクションだと古本屋や個人書店を取り上げるものが多いし、一般書店を題材にているのといえば小説などと言ったフィクションになってしまう。そういうわけで本書は読者にとって一番身近である丸善とか紀伊國屋のような書店の仕事を愉快な四コマとして読めます。四コマと侮ってはいけない。本屋図鑑の名に押されないほどに業界あるあるが詰め込まれています。マンガではありますが大変満足いく内容でした。

番線

本好きあるあるを、おもしろいギャグで展開するマンガ。「作者はおっさんなのか?」と思わせるちょっと昭和なギャグがテンポ良く繰り出されるので、クスッと笑いが止まりません。浦安鉄筋家族をちょっぴりマイルドにした感じを想像してください。ボケとツッコミの間合いも気持ちよくて「バカだな〜」と笑ってしまうのに、「これあるなぁ〜」となる本好きの習性にも共感してしまいます。とても楽しいマンガでした。


エッセイ

『猫はしっぽでしゃべる』

橙書店の店主を務める田尻久子さんのエッセイ。個人書店をいとなむまでの苦労や思いが雫のようにこぼれる文章で、どこか懐かしさと優しさを感じます。さて、猫はしっぽでしゃべる、という意外なタイトルの意味とは。


『利尻島から流れ流れて本屋になった』

利尻島出身の現役書店員のエッセイ。はじめにと終わりが秀逸です。

はじめに
この本をいわゆる書店員本として読んでいただくのは、多分間違いだ

おわりに
大半は仕事とはまったく関わりのない話である。ただ、書店で働いていなければ書けなかったこともまた事実だ。書店は、故郷だ。そこには家族がいて、友人がいて、今はもう会うことのできない大切な人たちがいる。

彼がいいたいことはこういうことだ。
書店員本のつもりで書いたわけではない。だけど、結局は書店員という生き方をした私が書く以上、それは書店員本なのだという著者自身の気づき。
そうなんですよね。今の自分を形作るのに、不要だった過去なんて何一つないんです。ささいな言動から癒えることのない後悔も私という人生を形作っている。書店員本ではないかもしれない。けど書店員である彼という事実によって構成されもいるのだ。

また、彼はエッセイの最後に爆弾を残していったかのように思える。

「あなたにとって本が好きとはどういうことか」
この問いに自分は答えられるだろうか。
「あなたにとっての本とは?」という質問には答えられるだろう。けど、「本が好きとはどういうことか」、その問いはきっと自分史を掘り進めなければならない考古学であると思う。簡単には答えられない重みがある。
私が就活生だった時代、出版社を受けた。「子どものころから本が好きで…」と答えた過去。今も出版業界にいる。けどあの時も今も、「本が好き」ということの本質に迫れた気がしない。


『本屋、はじめました』

東京・荻窪にこじんまりとした書店がある。Title。人文書がならぶその書店は、版元の人間さえも惹きつける。店主に挨拶をする出版社員もいる。大手チェーン書店から独立した店主の、本屋を設立するまでの記録だ。その面白さは、「こんなこと書いていいの?」となるようなあけすけな話だったりお金の話だったり…。そんなことに野次馬根性を働かせて読んだつもりが、いつしか私も彼の書店への思いに連れられて…。


書店員の仕事

本屋という仕事

本屋とは何だろうか。本を売る場所? その通りだ。ほんと人を繋ぐ場所? その通りだ。文化を育む場所? その通りである。では、書店員から見た本屋とはどのようなものなのだろう。その問いに答えをくれるのが本書だ。仕事と題についているが、書店員の実業務を事細かに語っているのではない。ここでいう仕事とは「哲学」のことだ。使命や信念といっても良い。差別や社会問題への寛容な社会を作る、学問への入り口を構える、その人の生き方のお手伝いをする。そうした彼らの使命が本屋を創るのだ(物理的にもソフト面でも)。だからそこには、本屋という空間を〈編む〉編集者としての書店員が立ち現れる。どの本を、どんな順番で、どんな場所に置くのか。彼ら一人一人が棚づくりに意味を持たせているから、同じ書店など一つもない。本屋とはつまり、目を澄まし、心の耳を澄まして初めて聞こえる書店員の声との対話の場なのだ。


書店員の仕事

「仕事」を銘打っているが、実業務を記述するものではありません(そういう書籍が少ないので、あれば嬉しいのですが…)。書店員には扱うジャンルを割り振られておりまして、児童書担当、コミック担当、小説担当…とあります。本書は全国書店の人文書担当の人たちのエッセイのようなものです。どれも、書店員としての哲学や昔懐かしむ記憶、これからの書店など思うことを書いています。全国の小さな書店からチェーン書店、元書店員や現役書店員の文章はどれをとっても彼らの書店員としての生き方が凝縮されて同じものは一つもありませんでした。濃い、とても濃い、彼らの人生の一片にふれる事ができました。ただ、一つ共通しているのは、彼ら書店員は皆、棚という畑を何年も愛情を込めて耕しているのであり、棚は彼らによって生かされているということ。最近の書店は特にチェーン店では人手不足によって書店員の業務を効率化しています。それは、どこに行っても代り映えのしない無機質な棚を生んでいるのです。まさに耕作放棄地となっています。
最近、経産省主導で「書店復興プロジェクト」なるものが始動しました。有識者や市民からは「いまさら書店なんて必要なのか」「手を打つのが遅い」など言われました。また、「書店には地域の文化拠点としての役割」ということに疑問を投げかける人もいます。私自身も最初は「本なんてどこで買っても同じじゃないか」と思い、地域の文化拠点ということに納得いかない部分もありました。
けれど『書店員の仕事』を通じてその味方が大いに変わりました。まず前提として書店は物理的空間の制約を受けています。1日に200冊の新刊が発売されますが、そのすべてを揃えることはできない。だからこそ全ての書店は「選書=セレクトショップ」なのです。だからこそ、たとえば「長崎県郷土史」を北海道の書店が揃えることは難しいし、逆に長崎県の書店は無数にある出版物の中から「長崎県郷土史」や「隠れキリシタン」をテーマにした書籍をセレクトする余地があると言えます。つまり、書店員はその土地の歴史や人との対話を通じて棚を作っている。同じ棚など一つとしてない。だからこそ、書店はその土地の文化の基盤を支える発信拠点になっているのです。その意味で、Amazonなどのネット書店は文化の拠点にはなり得ないでしょう。「なんでも揃う」は「なんにも主張していない」ということと同義です。それに行動経済学で言われるように、決定回避の法則が人間にはあり、多すぎると選ぶことを放棄してしまう。つまり町の書店はそうした情報過多で専門知のない人々の代わりに、その土地や歴史、客層にあった書籍を選書しているのです。「選ぶ」という行為を通じてその土地土地の文化の基盤を支えていたのですね。ですから、私はこう答えることができます。
「今更、書店は必要なのか」
必要です。なんでも揃えられるワケではないからこそ、制約があるからこそ書店独自の色が生まれる。すべての色を混ぜたら区別のつかない黒になってしまいますが、色に制約があるからこそ様々なカラーが主張できる。これは、「地域の文化拠点」としての書店の意義でもあります。無数にある書籍の「選べない」を解決し、その土地の歴史/風土/人に合った書籍を主張することで文化を支えているのです。


本を売る技術

特別何か悪いというわけではないのですが、単純に著者の主張と私の考えが噛み合いませんでした。内容は、書店勤務の著者と彼女のもとでお世話になった元書店アルバイト(現在出版社勤務)が書店の仕事について語り合う対談です。端的に言ってしまえば、両者の懐古主義的な主張が繰り返されるようで、どうしても今の書店の状況を正面切って受け止めずに「あの頃は良かった」「今のやり方は好きではない」と馴れ合っています。タイトルにある『本を売る技術』というのも今現在通用するかどうか…。何より身内(書店業界)で盛り上がってる感が強くて、専門用語ばかり説明もなく使われていたり、出版業界の商習慣も当たり前のように語られているため、業界外の人が読んで「楽しい!」とは思えないんじゃないかな。