ふあ

女子高生の日常 ただ日常と好きなことを綴ります

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最近の記事

最高の人生の見つけ方

私は人生というものに喜びを見いだせていない。 人生という響きにどうも希望を見いだせない。 そんな私が最高の人生を生きたらどうなるのか。少しだけワクワクする。 やってみようじゃないか。 いや、もしかしたらもうすでに始まっているのかもしれない。 私の最高の人生が。

    • コラージュ2

      • 本当の私

        今まで本当の私でいられたときはほとんどなかった。 今まで自分を抑え込んでた。 でも、それじゃ生きづらい。 だから、これからは本当の自分を出していきたいと思う。 私は自分の気持ちに気づいていてもそれを瞬時に打ち消してしまう癖がある。だから、打ち消す前に、または打ち消したあとに気づいて取り戻す。そういうことをしたいと思う。 私には安全な場所がある。何を出しても大丈夫な場所がある。だからそこで自分の本心を出していこうと思う。 人のためじゃなく、自分のために。 人がどう思うかじ

        • ドラマと感情移入

          ドラマを見ると、影響されすぎる。 ドラマの世界に入り込みすぎ、その登場人物に感情移入しすぎる。 それによって、過剰にエネルギーを消費し、心がぐちゃぐちゃになり、現実世界に適応するのに時間がかかる。 どこか自分が世界に馴染んでない感覚が強まる。 幸せだけの話ならまだいいが、困るのが深刻な話だとしんどくなってしまうことだ。 それくらい感情移入してしまうのである。

        最高の人生の見つけ方

          死と生

          みなさんは、生と死に対してどのようなイメージがありますか? 私は、生は明るくて死は暗いものだと思ってました。 そして、暗い死に惹かれていました。 生は明るいものだから、明るくない自分は生きづらい。 生は明るすぎて圧倒される。 そう感じてました。 でも、生も結局泥臭くて孤独なものだって気づきました。 死と生って大して変わらない。両方闇だって。生は明るすぎない。生は明るいっていうのは幻想だって。生だって黒くて紫で深緑。 そのことに気づきました。 生は明るくなくていい。生は暗くてい

          幸せを感じられない

          本に、「これまで、どんなときに幸せを感じたか、嬉しかったかという問いかけを自分にしてみてください」とあった。 でも、私はどんなときに幸せを感じたかあまりわからなかった。 たぶん幸せと感じた経験が少ないんだと思う。 だから幸せという感覚があまりよくわからない。 それでも幸せとは些細なもので、そこらへんにあって感じられるかどうかが鍵になるということは知識としては知っている。だがそれを体験として持ってない。 幸せだと私が感じられない理由はいろいろあると思う。 その1部を言語化しよう

          幸せを感じられない

          銭湯

          ドラマで見た通り、本当にお風呂、もっと言えば銭湯には大きな力があると思う。 気持ちをリセットできる。 いつの間にか気分がよくなってるのである。

          日記〜夜のドライブ〜(24.7.14)

          夜のドライブに行った。 夜景を見てきた。 きれいだった。 少しの間だったけれど、日常から離れられて、自分を忘れられて、夜景に呑み込まれた。 心のエネルギーが少し補充された気がした。

          日記〜夜のドライブ〜(24.7.14)

          大学で心理学を学ぶということ

          大学で心理学を学ぶということは、心の観点からその行動のなぜを考えるということ。行動を理論づけるということ。それは私が主治医にやってもらってること。 心理学を学んだら、こういう行動、心理のときはこういう心、出来事が背景にあることが多い。 そういうことを伝えられるようになるのではないか。

          大学で心理学を学ぶということ

          すずめの戸締り

          小さい頃の自分が残ってた。 生きることが怖かった。 それに気づいてなかった。 けど、不思議な体験を通して自分が怖かったこと、小さい頃の自分の気持ちに気づき、そのうえで様々な温かい人との出会いを通して生きる希望を見出した。 「今はどんなに悲しくても、すずめはちゃんと大きくなるの。だから心配しないで。」 「未来なんて怖くない。あなたはこれからも誰かを大好きになるし、あなたを大好きになってくれる誰かともたくさん出会う。」 私は今すずめのように自分の本心を知り、子供の頃の自分を知

          すずめの戸締り

          日記〜対話〜(24.7.11)

          今日は担任の先生とお話した。主治医と似てることを言ってたりやっぱりこの人は面白いなと思った。卒業するまでに考え方とか知識とかいっぱい吸収したい! 自分の考えを話してそのフィードバックをもらう。そのことがどれだけ自分にとって重要かわかった気がした。これからもそういうことをしていきたいしそういう場を自らつくっていきたいと思った。 積極的に人に出会っていきたい。 今日を楽しく生きたい。 比べるのはやめたい。 改めてそう思った。 "この世は生きるに値する" 宮崎駿さんの言葉。 この先

          日記〜対話〜(24.7.11)

          コラージュ1

          コラージュ1

          慣れについて(サークル)

          先週2ヶ月以上ぶりにサークルに行った。 そして昨日、再開してから2回目のサークルだった。 前回も今回も疲れたし心揺さぶられる出来事があった。 前はめちゃくちゃ楽しかったサークル。 しばらく行ってなかったこと、新しい人が入ってきたこと、友達の変化。 これらにより少ししんどくなることになってる。 楽しいという気持ちはあるし、元々最初の頃はこんな感じだったからまた慣れれば大丈夫なのかなって思うから慣れるまでしばらくは少し耐えようと思う。 それでもそういうのは疲れと影響されるってこと

          慣れについて(サークル)

          意外と自分に負荷かかってるよって話

          意外と自分に負荷かかってるよって話 気づいてないだけでめちゃくちゃ自分に負荷かかってるんだなって思った。 ストレス原因ってこの世の中に溢れてる。 そして意外と自分のキャパシティは小さい。 私は今まで自分にそれほどの負荷がかかってることにすら気づいてなかった。 でも最近やっと少しずつ心が素直になってキャパオーバーを感じるようになってきた。 すぐにその負荷を取り除くことは難しいというかどうしたらその負荷を取り除けるのかよくわからないけれどまず負荷がかかってると知ることが大事なんだ

          意外と自分に負荷かかってるよって話

          これからどう生きたいか

          私がこのことを考えるのは何度目だろう。 たぶん数十回は超えてる。 それだけ今まで道に迷ってきた証拠だ。 この年齢(高校3年生)でこれだけ本気で人生に向き合ってきた人はそうそういないという自負がある。 今まで何度もこれからの人生どうしようと考えてきたが、少し今回は今までと違う。 今まではどう生きるべき? だった。 でも今回は、 どう生きたい? である。 その違いが生じた理由は、最近人生観が変わる出来事を経験したことである。 これ!という1つの出来事ではなく、約1年の経験を経て得

          これからどう生きたいか

          文章を書いた

          文章を書いた。 やっぱり文章を書くのが好きだし入り込めると思った。 めちゃくちゃ集中してた。 エネルギーをめちゃくちゃ使って疲れたけど楽しかったし気持ちが充実してた。 褒められたし嬉しかった。

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