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話さない時代が来る予感がする

10日ぶりに、話した。他人と。といっても、ウーバーイーツ的なものを受け取っただけだが。

久々過ぎて上手く声が出なかったけれど、それよりも驚いたのは、私と同い年くらいの配達員が、めちゃくちゃ暗かったことだ。


私も暗いのだが、私と同じくらい暗い配達員に出会ったことがなかったので新鮮だった。大きな荷物を受け取る時、宅配員の方は、溌剌な方が多く、重い荷物をヒョイと持ち上げる。


私よりも年上なのに、かなり元気で筋肉がついていて、体も引き締まっている感じが、眩しい。といっても、恋愛感情とかではないけれど。


それと同時に、ふと思う。最近は、こういう人ではなく、先ほど書いたような暗い配達員のような若者が多いのではないか、と。


驚くほど人と話さないから、この間、私って無性に孤独だなぁ、と思った。誕生日にも、誰もおめでとうというメッセージもない。誰かと付き合えば(恋愛に限らず)、むしろ孤独に感じることもある。


人のぬくもりを知れば、会えない時は辛いだけだ。キャビアを一回食べれば、毎日食べたくなる。でもそのうち飽きて、キャビアより美味しいものを求める。人間はそういう生き物だ。


思い出せば、昔から全然人と喋ってない。こんなんでいいのかな?なんて思うくらい。少女マンガの無口なクールボーイ並(?)に話していない。中学の頃読んだ、人間失格が精神に刺さった。このまま喋らなくていいのかなぁ、というぼんやりとした不安。


母とは仲がいいけれど、ステイホームになれば、いる時間も長くなって、喧嘩する。「あんたは孤独なままだよ、このままじゃ」そうなのかもしれない。哲学とか、神話の話やドラマとかの格言をメモしている。心に染み入る。アニメで、不覚にも涙が出る。どうしたものか。


人と喋らないこと。ただ、これからはそんな人が増えるんじゃないかなあ、と思う。なぜなら、オンライン生活はこれからも加速するだろう。そのうち人間は、口が退化するかもしれない。


もはや、昔の人は喋っていたの?と言われるかもしれない。私はオンラインに慣れているから、キャッシュレスや通販はよく使う。あまり、人と関わりたくないからだ。


キャッシュレスの、不便さ


キャッシュレスは万能ではない。早く浸透してほしいものだ。Suicaを使っていた時に、カフェに入ったら、「今機械の故障で、利用できません」と、悪びれず言われた。


最近も、そんなことがあったのだが、残念ながら現金を持っていくのを忘れていて、「あ、すみません」などと、呻きながら言った。まさかの事態に、テンパっていた。向こうは、現金を持っていない人がいるとも知らなかったようで、少し呆気に取られた感じ。

現金を持っていない中国人の話


そういえば、昔バイトしていた店が、現金のみの飲食店だった。あれは、5年前くらいだろうか。中国人の方が現金だけと、言うとうろたえて、お金がないという。


仕方がないので、銀行で引き出してもらって、後でお金を払いに来てもらうことになった。無論、こんなことは稀なことで、店長も動揺していた。本当に、彼は払いに来るのだろうか?そもそもなんで現金を持ってないの?という二つの疑問が、店員の間によぎる。


結局彼は来て、つつがなく事は収まった。しかし、今になって思うのだ。あの頃から中国は、キャッシュレスが進んでいたから、彼はお金を持っていなかったんじゃないだろうか?と。慌てん坊な人物像からは、大きくかけ離れた姿が浮かび上がる。


「今、機械が壊れていて」では、すまない世の中がくるんじゃないだろうか、と。だからといって、「だから、キャッシュレスは危険なのよ」なんて風には思わない。むしろ私は、キャッシュレスを望んでいる。


オンラインは、楽なのか?


ただ、最近ウーバーイーツ的なサービスを利用したら、違うものを届けられてパニックになった。どこに問い合わせるのかが、そもそもわからない。通販も、違うものや、不良品がくるだけで、テンパってしまう。そもそも私は、人と会話する手間を避けるためにオンラインを利用しているのに、無駄なんて一番嫌なのに…と、思う。


そういえば店で、●●のクーポンが使えます、と掲示されていたので、電子決済で払ったあとにクーポンを見せたら、「先に見せなかったから無効だ」と言われた。どうやら、電子決済は返金ができないようなのだ。


だから、クーポンを使うのも無理ということらしい。なんだか、現金よりも面倒になっちまったなぁ…ただ●●円引きするだけなはずなのに、やっぱりそりゃあAIに淘汰される時代もくるだろうなぁ、と思った。


ニュースなどの出来事を見ていると、日本においては柔軟な対応ができていない感じ。ロボットならば、柔軟ではなくても、仕方がないと許容できる。


世界に目を向けていると突如言い出した企業


それと同様に、最近wbsなどを見ていると、日本の市場は縮小しているので、この商品をアジアなど世界に売っていく…といった話をよく聞く。市場を広げるのは、多様性が出るし、いいことだとは思う反面、日本に力を入れる会社が減るのか…という予感がする。少子高齢化による市場の減少。 



日本では、やばくないか?と思った日本の企業が、日本人ではなく、外国人のための商品を作ってビジネスをしていく…そういえば、オリンピックに向けて、日本でホテルが作られました、という特集を以前みたけれど、外国人の富裕層向けという感じで、とても泊まれる価格じゃなかった。



日本には、外国の富裕層が来るような値段のホテルが少ないらしい。だから、そういうところを増やせという本を読んだことがあるが、それは反面、日本の一般市民には、手に届かない場所が増えるということだ。私の考えすぎかもしれないが、ここにきてアジアや海外に目を向ける企業がとても多い。それは良いことだけれど、日本人向けのものがなくなってしまってほしくはない。


今の私が、チョロい件について


この数週間、なぜか孤独に襲われた。まぁ、部屋にこもって仕事をするだけの生活が人間的なわけはないよな、と思う。唯一の趣味みたいなカフェにも、このご時世から行かなくなって、その分家で甘いものを食べていたら太ったから、ダイエットしている。



甘いものを食べないし、アプリでカロリー計算しているが、正直食べたものを毎回検索するのが、ダルい。一日中、食べることを考えてしまっている。甘いものは体に良くないのはわかるけど、正直楽しみがわからねぇぜ…って感じ。食べる、仕事、寝るの生活。思考回路はあんまり育っていない。



今の私は、多分ちょろい。今、告白とか、「ちょっと、お茶でも…」なんて言われたら、イチコロだ。もしかしたら、泣いてしまうかもしれない。恋ではなくても、全人類と一回語り合いたい気分ではある。今元気ですか、何していますか?と。


歳を取るにつれて、恋愛相手に対してシビアになるらしいけど、私の場合は逆な気もする。本とかに、「恋愛相手に望む100を書け」と書いてあるから、書いていた時期がある。


最近発掘して、面白く見ている。あれ、100なんて埋まらない。別に●●でも、●●じゃなくてもよい、ということが結構多い。それに、優しいとか曖昧なやつもある。


冒頭で書いた、話さない時代が来たら、メディアは相変わらずのように「最近の子供は、喋らない生活で、人とコミュニケーションが取れないんですね。怖いです」なんて騒ぎそうだ。まるで、子供vs大人たちみたいな構造にして、対立を煽るだろう。


その時、私はその話を聞きながら、「別に子供だけじゃないでしょ」とか、「私も似たようなものだから、むしろ子供と分かり合えそうだ」とか思うかもしれない。


違う言語の人と話したいけれど、なかなか言語を喋れないから、難しい。個人的には、中国人のような逞しさと、精神の強さは凄いな、と思う。マスコミでは、ヤバい国という一辺倒の報道しか見ないけど。中国ドラマを見るようになってから、そういう印象との乖離を感じる。


中国人のドラマでは、「髪が白髪になるまでいよう」とかいうフレーズをよく見る。なんかロマンチックな感じで、純愛っぽい雰囲気がある。一途だ。例えば、日本では「最初に付き合った人と結婚?すごいね」と言われるイメージだけど、中国では、「それがいいねぇ!」という雰囲気を感じた。

日本の少女マンガの男の子は、冷たい感じで、「愛してるよ」という甘い雰囲気はあまり感じないけれど、中国のは、来世も一緒という雰囲気だ。


今までは、相手の言語を覚えてコミュニケーションを取ろうとしていたけれど、これからは、そもそもコミュニケーションを取る時代なのかも、わからない。


事実、ネットだけでほとんど会話している人も多い印象だ。対話では、人の話を聞く必要があるけれど、ネットでは好きなタイミングでいいので、人の話を聞くという考えもなくなるかもしれない。


ネットで出会うと、敬語とか、忖度とかいう感じとも違う感じ。ある種の、フラットな人付き合いをみんながする、もしくはコミュニケーションを取らない…そんな日が来るような気がした。



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