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東日本大震災から13年...

普通こうゆうの書くのは実際被災地にいた方々だと思う。
このnoteでは私の事を知らない人も読んでくれてるので、知って頂くために書いてみたいと思う。

私は実際に福島県には住んでいないけど、
お世話になった土地


JFAアカデミー福島卒校
(サッカーの学校?中高一貫寮生活)
福島県立富岡高校卒業
(勉強の学校)

時を戻して2011年3月11日
私は1ヶ月後から福島県楢葉町で寮生活が始まる予定だった

私は当初小学6年生
小学校にいた
大阪にしては珍しく震度3
授業中に揺れていたのを覚えている

家に帰ってテレビを見ると東北地方が大変な事に
地震に津波...
そして、寮の近くにある原子力発電所...

「どうなるんやろ?」「アカデミーの人らは大丈夫なんかな?」って感じだったと思う

実際私たちはたくさんの方々のおかげで
無事4月から静岡県御殿場市でJFAアカデミー福島の活動を始める事が出来た

今大人になってわかる
ものすごい協力があった事を
本当に時之栖や中学校、高校には感謝しかない
約3週間でサッカーの活動と中学校での活動が
出来るように準備してくれたんやから...

そして、私は6年間静岡で過ごした。

富士山は毎日見ても飽きなかった🗻


中学校は御殿場市の公立の中学校

高校は福島県立富岡高校
高校では年に2回福島に行った
同じ高校の福島で活動してる子達と交流会が
行われていた

2014年か2015年
この交流会で実際にJ-ヴィレッジ(サッカー施設/福島時代の活動拠点)と富岡高校の本校舎を訪れる機会があった

楢葉町や富岡町は原子力発電所から近いため
ずっと立ち入り禁止になっていた地区

私にとってJ-ヴィレッジは2010年選考会で訪れたのが最後だった
隣接ホテルの玄関ドアには
南アフリカW杯(2010)
のメンバーがプリントされたガラス窓
時は4.5年経ってるのに当時のまま

元々グランドだった場所は全面コンクリート
「あれ?あそこでサッカーしてたのに」
衝撃的だった

そして、富岡高校の本校舎
被災した日から時が止まっていた
時計の針、教科書、何もかもが
2011/3/11
のままだった

あの空気感や教室の様子が
今でも鮮明に覚えている

福島県立富岡高校は私たちの学生を最後に休校になった


私達がアカデミー福島に
入校したあの年から13年
今年で静岡県での活動が終わり福島県に戻って
活動を再開する

13年間アカデミーを受け入れてくれた静岡県にはほんとう感謝ですね



震災を通して毎年"今"がある事への
ありがたさを考えさせられる

一瞬で当たり前の日常がなくなってしまう
それはいつ、どこで、誰が、どうなるのか
誰も分からない
伝えたい事はちゃんと伝えて
やりたい事やって
人生を謳歌しようと思う

パワーもらえる🗻









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