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子供の頃の自分に言いたいこと ▷ 屋根裏

 

「確実に自分が悪いとわかってるのにどうしようも無い感情が出てきてしんどい時ってない?」

戦友であり心友の彼はこう切り出した。

聞けば、とある親近者との話で、彼は相手に対して多方面的に配慮しているにも関わらず、相手はそうではない、と。
同じものを求めると拒絶されてしまったり、自責の負のループに陥ったりしてそれを宥める側に回らざるを得なくなり、結局同等のものが得られない。
正直、確かに彼らを見ていて感じたのは、心友は相手をとても思いやり大切にしているけれど、心友が相手から大事にされていないように思えたことがあった。それはそういうエピソードの有無ではなくて、普段のやり取りを見ていて感じたこと。
実際、第三者がやっても何も言わないことを心友がやると怒るらしい。聞く限りでは、抑え付けて来るくせに自分のことは自由にさせろという、ご都合主義感。
「確実に自分が悪いとわかってるのに」と言う前置きで相談される身としては、僕の価値観や経験則の全てをフル稼働させて「正しさ」を見極める必要があると思う。心友だからといって常に肯定することだけが優しさではないと考えるので、間違っていると思えばそれは違うんじゃない?と指摘する。僕もそうして欲しいからだ。
で、冷静に傾聴したところ、心友に悪いところは見当たらなくて、寧ろやり場のない気持ちの落とし所を自分自身に向けることで安心を得ているのかなと心配になった。

心友は言った。
「叱って欲しい」「頭ごなしに理屈付けて、お前も悪い!って言われたい」と。

彼は、視野が広く色んな人に優しくなれて配慮も出来る器の大きい人だ。僕も彼の思いやりに、その言葉に、幾度となく救われて来た。ただ、そうやって他者に対して使えるエネルギーの量は人によってそれぞれ差があるので、彼と同等のものを相手に求めるのは正直難しいと思う。レベルが違い過ぎる。

でも、だからと言って伝えることを辞めるのは、諦めるのは違うと思う。いくら相手が指摘され慣れておらずパニックに陥るとしても、誰かと寄り添い共に生きて行くならば、それが誰かの自己犠牲の上にあってはならない。
「自分が我慢すればいいんだ」こういう考え方は、いつか必ず、器から溢れるんだ。だって僕らたかがただの人間だ。ちっぽけな生き物で、キャパシティも限られている。溢れるに決まっている。我慢し切れるって考えが思い上がりだしそもそも我慢しようと構えてる時点で、しんどいってことでしょ。
何度でも話し合って、時間を置いて、その繰り返しでじっくり煮詰めて、ようやくお互いが頷ける答えに辿り着けるんだと思う。

相手は多分、まだまだ知らないだけだ。思いやりとか、配慮の仕方とか、優先順位とか。もしかしたらもっと根本的な「人にされて嫌なことはしない」ら辺の話なのかもしれないが、二人の良好な関係性を見る限り言えるのは、少なくとも相手は「心友が我慢してボロボロになってくれればいいのに」なんてことは微塵も望んでいないはず。だから、「自分が我慢すればいいんだ」という考え方は現実的に必要ない。と、思う。もちろん喧嘩しろって意味ではないし、我慢が必要な場面はあるけど、その考え方を土台にはしない方がいいよ、ってこと。自分のためにも相手のためにもならないから。

僕はこの件で心友を叱ることはないし、伝え続けること、でもそれって物凄く長い闘いで尋常じゃないほどエネルギーを消耗するぞ、ということを伝えた。

 

同じ日本に生まれ、同じ日本語を同じぐらいの温度感で話していても、育った環境や価値観の相違で、自分の気持ちや考えが純度100%のまま伝わり切ることは有り得ない。そもそも別個体の時点で無理。
 
だからこそ、伝えることを惜しまない。

 

もう一つは、慕ってくれている後輩の話。

仕事が忙しくてなかなか自分のやりたいことに時間が割けず、ひたすら自分の容量の悪さを責めている子がいる。
連絡網の返事が毎度遅くなり、申し訳ない気持ちでいっぱいの謝罪文が全体の1/3を占めるほどに。
で、僕はそれに対して、勿体ないよ、と返した。どんなに遅くなっても誠意はもちろん伝わって来るし、ありがとうとごめんねを言葉にすることってすごく大切なことで、必要なことだけど、そこまで責めなくても良いんだよ、と思う。
そもそも週5で1日長時間勤務の疲れが、1日2日休んだところで全快まで回復したりしないので、そういった毎日の積み重ねの疲労や、突如襲い来る病気によってリアクションが鈍くなることって、迷惑でも何でもないはずなんだよね。
寧ろその申し訳ない気持ちに注ぐエネルギーを、もっといいものに変換したら良いんじゃない、みたいな話をした気がする。

多分彼らと僕の共通するところは(自分で言うのもアレなんだけど)、「根が優しい」「平和主義」、またそれらをひっくり返すと、「過去に散々否定されて来た」「幼少期に親からの愛情・安心を得られなかった」が故に、本来なら自分を守るために間違っているものへ向けるはずの刃を、自分の首に突き付けているんだと思う。
恐らく自分に向けざるを得ない状況下だったんだろうし、相手に向けることでより炎上するなら尚更そうなるよね。過去に、刺し違えたとしても父をどうにかしなければと試行錯誤していた僕がいつしかそれは無理だと悟って以降、どうやって死のうか考えることにシフトチェンジしたように。

心友に関しては、喜怒哀楽の「怒」という感情は、自分を守るために必要なもの。だから瞬発的に出るものなんじゃないかな、と思うし、だからこそ冷静に伝えなければならないなとも思う。コントロールが難しい、とても繊細な感情だ。

後輩に関しては、いつか「お待たせ!返事遅くなってごめんね、由眞は私のこと大好きだから寂しかったでしょ?」と言えるほど、自分のことを好きになってくれたらいいなと心から願っている。
あ、もしかしてそもそも僕からの愛情表現が足りてない説もあるかもしれないから、もっと全面的に出して行った方がいいのかな。笑

 

だから彼らに、そしてあの頃の自分に言い続けるんだ。

 

「大丈夫だよ。きみは、何も悪くない

 

 

▒ 子供の頃の自分に言いたいこと
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

きみは何も悪くないよ。
色んなことが人並みには出来なくて、散々怒られて、逃げることで頭がいっぱいだったけど、よくよく考えてみればそこまで怒られるようなほどのことはしてなかったし、じゃあ怒られ損じゃないかと卑屈になることもない。だってこの経験が、痛みがあってこその今の自分だ。辛いことや理不尽なことなんて無いに越したことはないけど、降り注ぐ刃のような雨を浴びる前には戻れないし、戻れないならば武器にして進むのみ。傷付けたり奪うためではなく、ただしく、自分や誰かを守るための力に成れる。そう信じてる。

 

何も出来ないと決めつけてたんだ
その方が楽だから
傷つける事を理由に
傷つく事から逃げていたんだ
 
( LINK IT ALL / SPYAIR )

 

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【待宵、屋根裏部屋で。】オーナーの由眞でした。

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