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文章を書くことは釣りに似ていると思った

自分はとりとめなく文章を書く時間が好きだ。とにかくただ思いつくままにタイピングする時間が好きだ。

そして気づくと何時間もそうして過ごしているときがある。

一体何が自分をそうさせるのか。ひたすら思考をタイピングしていて何がおもしろいのか。



ふいに、「あ、これは釣りなのだ」と思った。

自分は釣りをしているのだ。自分の頭の中から、最高のひらめきを取り出したい。そのためにひたすら文章で、頭の中をまさぐっているのだ。

そうか。自分はいつも「最高の発見」がしたくて文章を書いていたのだ。


だから自分は規則正しい生活を送れない。

規則正しい生活とは、朝起きて、必要な準備をして仕事に取り掛かるわけだが、まずもって自分は、この規則正しいルーティンに入ることを毎朝拒んでしまう。

どうしてかというと、そのルーティンに入るということは、今日はもう「期待はずれ」なことは起きない、とそこで決まってしまうからだ。

だからこうしていつまでも文章を書くのをやめられない。他の仕事をすべて差し置いてでも書き上げなければならないと思えるような、素晴らしいひらめきが降りてくるのを期待しているのだ。


しかしながらこの時間の使い方。ギャンブルと一緒だ。

お金はかかっていないが、果てしなく時間を使うギャンプルだ。

時間をかければかけるほど、これだけ時間をかけて書いた文章をなんとか価値あるものにしたいと思ってしまって抜け出せなくなる。そうなるともう泥沼だ。

別にそこまで面白いとは思っていないが、とにかく大量に書いてしまった文章を、ただもったいない、というだけで清書し始めるわけである。こうして丸一日以上を無駄にすることがよくある。

ギャンブルはほどほどにしなくてはいけない。


そもそもこの「釣り」は必要なのか、という思いもしてくる。

無理に釣り上げなくても、必要なタイミングで魚は勝手に向こうから陸に上がってくるもののような気もする。


少なくとも、「釣り」は時間を区切ったほうがいい。というのが今の自分の暫定的な方針だ。



しかも釣って終わりじゃないというのもやっかいだ。釣りあげた魚をきちんと加工して、おいしく店先に並べなくてはいけない。

釣るのにも時間がかかる。釣ったものを加工するにも更に時間がかかる。

釣った獲物(アイディア)を加工するのか、それとも捨てるのか。

この判断が実に難しい。


そうか。そのための「直感」なのか。

「これは時間をかけてきっちり磨き上げるべきものだ」ということを判断できる直感を磨かなくてはならない。すべての優先順位を組み替えてでも書き上げるべき文章かどうかを判断するのは「今日そんな時間があるのかどうか」というスケジュール管理能力ではない。直感だ。

大物を釣り上げてしまったらその瞬間、全ての優先順位が変わり、その文章を書き上げることが最優先になる。必然、それ以外のことが後回しになる。

しかしその価値があると自分が感じたのなら仕方がないのである。

だから直感を磨いておくことが常に求められるのだ。一瞬の判断ミスによって1日が無駄になることだってありえる(そのミスを繰り返すことによってしか直感は磨かれないのだが)。


直感を磨きながら釣りをする。釣り上げた文章を、加工するかどうかを見極める。引き際も肝心だ。潔く捨てる判断もできないとだめだ。

じっくり時間をかけてようやく釣り上げた文章を、あっさり捨てる。

その繰り返しでしか直感は磨かれないと思う。


CM

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ルーティンはつくるものではなくてみつけるものです。いつも自分がやってるルーティンを見つけて、よりブラッシュアップしていく。そのためにまずは自分が何をしているのか記録をとるわけであります。


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