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体力がない我々の生存戦略

アラフォーになって周りを見渡してみると、活躍している人たちが共通して持っているものがなにかわかってきた。

元も子もないかもしれないけど、うまくいってる人は体力がある。

ここでいう体力とは、筋肉があるとか持久力があるとかメンタルが強いとかとはちょっと違う。

堀江貴文さんが相談に答える動画がTiktokで流れてきた。

「私は偏頭痛もちで身体が弱い。そんな自分でも堀江さんみたいになれますか?」

たしかそんな相談だったと思う。それに対して堀江さんは

「最近やっとわかってきたんだけど、自分は身体がめちゃくちゃ強い。風邪をひかないし頭痛にもなったことがない。だから身体の弱い人の気持ちがわからない」
「知り合いに、幼少期から身体が弱くて、それを克服するために格闘技を習って強くなった人がいる。でも彼はよく風邪をひく。鍛えてもどうにもならない、生来の身体の強さというものがある」

という話をしていた。

その一方で、公認会計士で元マッキンゼーで雀士で発達障害を公言している勝間和代さんは、昔からよく体調を崩すし、苦手な食べ物も多く騒音が苦手で、人よりも環境のストレスに弱い。でも彼女の行動力は凄まじい。

自分の体質改善や環境を整えることに全力でPDCAを回す。あらゆる最新家電を試し、運動もゴルフやバイクやトランポリンなどあらゆるものを試し、体調のハンデを圧倒的な試行錯誤と環境づくりによってカバーし、常人の何百倍ものパフォーマンスを発揮している。

勝間さんは身体の弱さを補ってあまりある体力がある。彼女にいわせれば「日々、コツコツ運動することで体力を維持しているんですよ」ということになるわけだけど、さすがに10年以上活動を拝見していて、最初から持っている肉体のポテンシャルの違いを実感する。

なんというか、かれらはシンプルに生き物として強い。

そしてかれらと比べるて僕は明らかに「体力がない」。

僕は風邪はあまりひかない。でも外出するとすぐにつかれる。鼻炎もちで、腰や首がすぐに痛くなる。いつもと違うことをするとヘトヘトになる。ちょっとした心配事で二日は何もできなくなる。

体力がない我々は、体力がないなりにそれでも強き者たちと戦って生き残っていくための戦略が必要だ。

そんな我々の生存戦略として大事なことは大きく、以下の2つだと思っている。


体力をつけること

体力がある人は気軽に「運動しましょう」という。あるいは「運動なんてしなくても大丈夫だよ」という。かれらは体力ない人のことがわかっていない。

我々はもっともっと真剣に体力向上に向き合わなくてはならない。我々が運動から得られるリターンは、かれらのそれとは比べ物にならない。

しかし体力がない我々にとって、運動のハードルはかれらよりも高いことは間違いない。だからこそ真剣に人生をかけて本気で取り組む必要がある。

メンタルがどうだとかサプリメントだとか食事だとか、あれこれ考えるまえにとにかくまずは散歩からはじめよう。


できれば筋トレも生活の合間に取り入れたい。ジムに行く必要はない。軽く腕立てするくらいで十分だ。


食事にもお金を使う。しかしそれは外食を増やすとか肉を食べるとかじゃなく、とにかく野菜に課金する。


「少しずつ行動量を増やしていこう」という発想をやめる

これについては、僕も「ハードルをめちゃくちゃ下げて、ちょっとずつ習慣の強度を上げていこう」って話をよくしていたからちょっと申し訳ない。

少しずつ習慣の難易度を上げていく作戦が有効なのは間違いない。しかしそれは僕ら体力ない勢にとっては中盤での戦略だ。

少しずつだろうが一気にだろうが、やることを増やす前に我々は「いまもうすでに100%以上のことをやろうとしている」と認めることから始めるべきだったのだ。

「少しずつでも行動量を増やしていこう」という発想は、裏を返せば「私の行動は不十分だ」と自分に言い聞かせているということだ。

「私はもっとやればできるはずの人間だ!」という思考で生産性があがるのは、少しでも時間が空くとすぐやりたかったことをやりはじめちゃうような人間だけだ。我々のように一仕事終えるたびに何十分もぼーっと動画やらSNSやらをみてしまうタイプの人間に、この手の向上心はむしろ害になる。

やるべきことを減らす。正確いうならば「やろうとしていること」を減らす。

どうせやろうやろうと思ってやってないでしょう?  昨日も今日もやればかったことは、明日もやれないし今後もやれないのだ。

だったら「やらない」と決めて脳のキャパを空ける。

我々は心のなかに無駄なプレッシャーを抱えておけるほど潤沢な体力など持ち合わせていないのだ。

読みたい本がたくさんあります。