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才能を見出されるために必要なこと

今日はTwitterでこの記事を改めて紹介しました。

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この記事の中で紹介している記事、2年ぶりに読んだけどどっちもやっぱりとんでもないなぁ……という感想。文章のクオリティが化け物じみている。

でも、はじめて読んだときにあれだけ感動して、Twitterでも紹介して、noteでも紹介したのに、2年経ったらオチもディティールもほとんど忘れていることに驚いた。

そしてもう一度読んで泣いた。

2年後にまた読んだら、そのときも泣けると思う。



2年前といまで考え方が少し変わった。

たぶん、狂気に身を委ねるだけでは足りないのだ。その狂気は、誰かによって見出される必要がある。

きっちり就活の面接という真正面から入っていって見出された安住さんのように。

文房具屋のおじいさんが声をかけた、毎日原稿用紙を買いにくる子供のように。



この世界はどんどん「見出されやすい」世界になってきていると思う。

だから自分の創作や表現や作品のクオリティをひたすら高めていけば、いいものはかなり高い確率で誰かに見つかる。

それでもやはり、0が1になるまでにかかる時間と、1が10に、10が100になるまでにかかる時間は全然違う。0が1になるまえに寿命が尽きることもあるだろう。

だから最低でも、0から1にする努力はするべきだ。最低でも、陳列棚に並べるか、直接売り込みにいくか、そのどちらかはコンスタントに続ける必要はあるだろう、と思う。

陳列棚に並べるとは

インターネットで公開したり売ったりするということだ。

フォロワーが少なくても、とにかくインターネットで出し続けること。できれば定期的に。

インターネットの世界に自分の一部を漂わせ続ける。あまり凝ったり時間をかけたりする必要はない。ただ丁寧に贈り物として作り込めばいい。

進化し続けるアルゴリズムが、ちゃんと必要としている人に届けてくれる。


直接売り込むとは

試験に挑んだり、就活したり、賞レースに応募するということだ。

プロになるための道を歩かなければ身につかない技術がある。それは陳列棚に並べるだけでは手に入らない。用意された規格やルールの中で高評価を得るために試行錯誤しなければならない。



どちらの道を選ぶにせよ、自分を晒すことをやめなければ必ず何かが起こる。

何かが起きたら、次に必要なのは勇気を出してのっかることだ。

そしてほとんどの場合、のっかったあとはガッカリしたり痛い思いをすることになるが、それによって次に何をするべきかがちょっとわかる。

わかったことを活かしつつ、引き続き狂いながら没頭し、自分を晒し続ける

そしてまた何かが起こる。その繰り返し。


必要なのは、続けること、晒すこと、のっかること。

読みたい本がたくさんあります。