「大人の時間」を作るには。
#20230706-158
2023年7月6日(木)
このところ、ノコ(娘小4)の就寝が遅い。
学校の宿題が終わらないからなのだが、「大人の時間」を浸食している。
子育て中の家庭はどうしているのだろう。
ノコが寝ないのはひとえに学校の宿題が終わらないからなので、大人も宿題の集中の妨げになることができない。
TV大好きっ子のノコの手前、TVもつけられない。本当はTVがついていても無視できる集中力がほしいところだが、TVは視聴者が魅きつけられるよう大の大人が努力して制作しているのだから、子どもがあらがえなくても仕方がない。
ノコが寝てから見るはずだった録画番組が消化できず、どんどんたまっていく。
今や、HDの容量を圧迫していて、新規の録画ができないほどだ。
「これ、わからない」
「ヒント!」
「教えて!」
ノコにこういわれて、教えていいのか。
学校で習ったことなので自力で考えさせたほうがいいのか。
これも悩む。
だが、わからないのだからサポートはしたい。
そう思って、解ける道筋を示そうと問題文を音読するよういう。問題の理解度の確認ともう一度きちんと読んで考えることも兼ねている。
「ヤダ。何で読まないといけないわけ? もう読んだし。そもそも声に出す必要ないじゃん」
「学校のテストでは音読はできないけど、声を出して読むとわかり方が違うんだよ」
「……違わないし」
読みはじめても、とてもじゃないが、聞き取れない声の小ささだ。
「ママにもわかるように読んでほしいな」
大きなため息をついて、ギロリと私を睨む。
教えてもらう人の態度だろうか、と毎回思う。
「リンゴはいくつあって、子どもは何人いるんだっけ?」
「……読んだの、聞いてなかったわけ?」
「じゃあ、何算を使うかわかるかな?」
「尋いてるのは、こっちなんだけど。質問に質問で返さないでくれる?」
確かに言葉の形としては尋いているが、これはノコが問題文を把握しているのか確かめ、次のステップへ進むためのやりとりだ。ノコとしては、何算を用い、式をいってほしいのだろう。
学校や学習塾の先生にはまさかこんな態度ではないと思う――思いたい。わからなくて、面倒くさくて嫌なことを顔や言葉に出しても私やむーくん(夫)は見放さないと「甘え」ているのだろう。
いつもならベッドに入っている時刻だ。眠くなってきてもおかしくない。
集中力も途切れ、わからなさは輪をかけてわからなくなり、不機嫌さはますます増す。
こちらとて、だんだん滅入ってくる。
家事を進めようと、ちょっと席を立とうとすれば「ママ(パパ)行かないで!」という。かといって、座ってもやろうとしない。
大人の寝る時間も近付いてくる。
ダラダラとやっていても効率が悪いので、翌朝やるよう声をかけても聞かない。
「終わるまで寝ない」
その心意気は買うが、それならもっと早い時刻からはじめてほしいものだ。
起きているのも構わないが、自分一人で勉強ができるようになってからにしてほしい。
きりがない。
「そこまでにして。もう寝てください」
ノコがぎゃああああと不満をあげる。
大人の時間をどうしたら確保できるのだろう。
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