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感じる心は自由だが、しんどそうな娘。心の力を抜くにはどうしたらいいのだろう。

#20230621-143

2023年6月21日(水)
 「胸が痛くなるの」
 習い事からの帰り道、ノコ(娘小4)がいった。母娘2台の自転車が前に後ろになりながら走っている。
 「胸って、心?」
 「・・・そう」
 ノコがいうには友だちや先生に少しきつい口調で注意されただけで、とても嫌な気分になるとのこと。心が真っ黒になって、涙が出そうにーー時には本当に出て、胸が苦しくなるという。
 「ちょっとでも嫌なの
 日は沈み、西の空だけがやわらかに明るい。
 「もう、ばああああああって真っ黒になっちゃって、ほかのこと何も考えられなくなる」
 ノコの前を走る私はちらりと振り返り、続く言葉を待つ。
 「先生はさ、そんくらいで泣くなっていう。仕方がないじゃん。涙出ちゃうんだもん」
 あぁ、先生。
 度重たびかさなると、そういいたくなる気持ちはよくわかるが、それはいっちゃあいけない。
 ーーそのくらいで泣くな。
 その裏にはもっとたくましくあれ、という願いと応援がこめられているのかもしれないが、いった側は思い切って打ち明けたのに否定されたことになる。これでは、口も心も閉ざしてしまう。
 「嫌なことは嫌だよね。涙だってわざと泣いてるわけじゃないもんね」
 泣くことで相手の気を引くことは確かにある。子どもだって、あざとい。ただ涙には気持ちを落ち着かせる効果があると思う。泣いて、心を落ち着かせて、どうにもならない状況を受け入れているのかもしれない。

 感じる心は自由だ。
 どんなふうに感じてもいい。
 それを否定したくない。
 こう感じるべきだ、そう感じるのはおかしい、といいたくない。
 ただその感じ方が周囲を困らせ、本人が苦しい場合は私も悩んでしまう。

 「ママがさ、前に書いてみたらいいっていったじゃん」
 気持ちを言語化し、自分の外に出すことは客観的に見る一歩になると思う。
 「やってみたけどさ。全然スッキリしない」
 それは知っている。
 ノコはノートや紙切れに書き殴っている。自分の気持ちを見せたいのか、それとも隠すつもりがないのか、そのへんに放ってあるので読んでしまった。
 「スッキリしなかったかぁ・・・」
 「全然しないし。余計イライラするし」

 「パパも嫌。聞きたくないことしかいわない」
 ある意味、むーくん(夫)のほうがノコの身を案じている。
 宿題が終わっていないが、先生に注意されて嫌な思いをするんじゃないか。テストがあるといっていたけど、大丈夫か。入浴時、体のすみずみまで洗っていないようだが平気なのか。
 私は最低限の声掛けはするが、本人にやる意思がなければ、外野がどんなに騒いでもやらないのだからと思っている。
 諦め半分、見守り半分。
 ノコは、耳障りなことをいわない私を「やさしい」と感じているようだ。私はやさしくていい存在。パパはうるさくて嫌な存在。
 ノコのことを心配している面ではむーくんのほうがずっと親身なのに、むくわれない。

 ノコが周囲をどう感じているのか、聞けば聞くほど毎日がしんどそうだと思う。
 もう少し軽く受け流せればいいのだが、ノコは真正面からぶつかっていく。
 周りの反応がどうであれ、気負わず、心の力を抜くにはどうしたらいいのだろう。
 あちこちに力が入っているということは、まだ我が家がノコにとって力が抜けるリラックスできる場ではないということか。
 正式委託から4年。
 まだまだ、まだまだ・・・・・・なんだろうな。

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