次なる山は険しいけれど、やるっきゃないのだ。~ストーリーテリングの実習にて~
#20240325-379
2024年3月25日(月)
所属している公立図書館で、外部の講師を招いたおはなし会の研修会がある。希望者がストーリーテリングの実習をし、講評を受ける。ストーリーテリングは、お話を覚えてテキストを見ずに語る。
朗読とも1人芝居とも違う。
先週で学校給食が終わり、ノコ(娘小4)が昼には帰宅するため欠席するつもりだった。
子育てを優先すると、どうしてもおはなし会の活動に身が入らない。しっかり向き合おうとすると、身軽に動けない現状が歯がゆくなる。この身はひとつしかないのだから、焦っても仕方がないと自分にいい聞かせる。
諦めていたら、むーくん(夫)が年休を取得してくれた。
ノコをむーくんに任せ、いそいそと研修会に向かった。
外は冷たい雨。
今春は、桜の開花が遅い。
年2回開催される研修会のうち、前回は実習に挑戦した。
今日は聞く側なので、気持ちにゆとりがある。今まで耳にしたことがあるお話でも語り手が違うと、見える世界が異なる。研修会は講師をはじめ、大人相手に語るので、子どもに語るおはなし会とは緊張も場の空気も違う。
本日の実習者は3人。
中堅2人に、同じ時期にボランティア活動をはじめた同期が1人。同期とはいえ、この方は勉強会での実習もおはなし会での当番も積極的に取り組んでいる。もう何度も子どもたちの前でも語っている。ここ数年ストーリーテリングの実習を子育てを理由に休んでいた私とは違う。
彼女の声はよく通り、ゆったりと言葉も明瞭にお話が進んでいく。
このお話がとても好きなのだろう。大仰ないいまわしをするわけではないが、彼女のやわらかな表情と明るい声音から伝わってくる。
テキストをしっかり覚えており、いい淀むところもなかった。
安心した空気のなかで、お話の世界がとじた。
受講生の感想もよい印象の言葉が並んだが、最後にしめくくった講師は違った。
好きなお話を語るのは大切なことだが、その気持ちが前面に出てはならないといった。「このお話、いいでしょ」「素敵でしょ」「おもしろいんだよ」という語り手の気持ちは、大人が聞き手の場合は、このお話が心底好きだと好意的に聞いてくれるが、子どもはそうではない。
大人が差し出す感情に、聞く気持ちが落ちてしまい、お話の世界に入っていけない。
ストーリーテリングの語り手は、お話の「事柄」がどう動いていくのかを見せる。聞く場合も、語り手がどうこうではなく、お話がどう動いているのかに心を向けること。
あぁ、本当に難しい。
私も前回の実習のときにその壁にぶつかった。
好きなお話でないと、この身に取り込んで覚え、語ることができない。
演出したいわけではない。好きなお話だからこそ、聞き手にも楽しんでほしくて、つい「このお話、おもしろいから聞いて!」になってしまうのだ。
もし、料理人に「これ、おいしいから!」とぐいぐいと皿を差し出され、目の前で食べる姿を凝視されたら、どうだろうか。
味がわからなくなる。素材がなにか、どのように調理されているのか、舌で目で鼻で歯で楽しみたいのにできなくなってしまう。
要は、うるさいのだ。
一生懸命作った料理であっても、「ほい」とただテーブルの上に置く。
おいしければ、おいしい顔が返ってくる。
ストーリーテリングもそういうことなのだろう。
研修後、同期の彼女と少しだけ立ち話をした。
「難しいよねぇ」
そういって笑う。
「好きなお話って、もう好きなんだもんね。好きだから語りたいんだもんね」
テキストをしっかり覚えるのもなかなか容易とはいえないが、次の山はなお険しい。
慌てず、一歩ずつ、足を進めるしかない。
心魅かれるおもしろい世界を知ったのだから、これはもうやるっきゃないのだ。
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