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自分のことを「おばちゃん」といえる人、いえない人。

#20230626-148

2023年6月26日(月)
 「おばちゃんは知らないなぁ」

 ノコ(娘小4)と一緒に遊んでいた男の子の母親がさらりといった。
 思わず、のけぞってしまう。
 近頃の人は――もしかしたら自分も含めてかもしれないが――年齢が外見からはわかりにくいので違うかもしれないが、多分私より10歳は年下に見える。
 「おばちゃん」を中高年女性と定義するならば、51歳の私は中高年だし、ミドル世代だし、十分「おばちゃん」だ。
 でも、私は自分のことを未だに「おばちゃん」といえない。

 なぜだろう。
 私のなかの「おばちゃん」像が自分のなりたい姿ではないのだろうか。それでいいよどんでしまうのだろうか。

 小学校低学年の頃、近所に赤ちゃんを産んだ女性がいた。母より若く、きれいな人で「お姉ちゃん」と呼びたいと思ったが、赤ちゃんを産んだ時点で「おばちゃん」と呼ばなくては、と思った記憶がある。当時、私にとって年齢ではなく、子どもがいる女性は「おばちゃん」だったようだ。
 子どもがいたら「おばちゃん」ならば、ノコがいる私は「おばちゃん」であるはずだ。
 でも、いえないということは、ノコの親である自覚が薄いのだろうか。

 「おばちゃん」にはどこか子育て経験の厚みがあるように思う。
 ノコは9歳だが、私の親歴はまだ4年。4年という実績はあるが、0歳から我が家に委託されるまでの子育て経験はない。赤ちゃんがハイハイを経て立つ過程、離乳食やおむつ交換、トイレトレーニングを知らない。空白だ。埋めようがない。
 自分を「おばちゃん」という里母もいるので、子育ての空白時間のせいではなさそうだ。
 私自身の子育ての自信の有無だろうか。

 自分のことを「」などの一人称ではなく、関係性による名称でいうことがある。
 ここ数年、私は「私」か「ママ」といっている。ノコの前では「ママ」。「私」といったら、ノコが嫌がった。むーくんの前では「私」。
 ノコの前では「ママ」として接している時間が長いので、「ママ」でいい。むしろノコに「私」として接したらもっと距離を取ってしまうかもしれない。
 「ママ」としていうべきこと、すべきことがあるから一人称が「ママ」のほうがママでいられる。

 「おばちゃん」の場合、どういうスタンスでいればいいのかわからない。
 目の前のよその子どもに対して、どう接したらいいのかわからなくなる。
 「おばちゃん」って何だろう。

 自分のことを「おばちゃん」という人が「おばちゃん」とはこういうものと考えた上でいっているとは思わない。多分親しみとあなたに害を与える大人ではないことを伝えたい感じだろう。
 子どもの視点に立ったとき、母親ではない名前の知らない女性は「お姉ちゃん」「おばちゃん」「おばあちゃん」の3種類ほどだ。そのなかから一番適しているものを口にしているのだと思う。

 あれこれ考えずに気軽に口にできればいいのだが、これはもう性格なのだから仕方がない。
 私のなかで「おばちゃん」は単なる中高年の女性という意味だけではなく、子どもがいることが重要で、かつ時間の厚みがなくてはならないようだ。
 子育て経験の浅い私が自分を「おばちゃん」というのは、なんだかおこがましい。かといって、出産経験も乳幼児からの育児も未経験であり、この空白を埋めることは私には難しい。

 つまり、私は自分のなかのこの基準を満たさない限り、今後も自分を「おばちゃん」といえない、ということになる。

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