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動かない子どもは放置がいいのか、口うるさくいい続けたほうがいいのか。家庭平和の道はどこにあるのか。

#20230411-72

2023年4月11日(火)
 我が家の夕飯は18時だ。
 TVを見ていたノコ(娘小4)は18時ちょうどにTVを消した。私はそれに安堵しつつ、ダイニングテーブルの上に夕餉ゆうげを並べていく。
 「よくTVを消せました」
 TV画面が黒くなったことを確認して、ノコに声をかける。
 「さぁ、ご飯にしましょ
 ところが、ノコはソファーから立ち上がるとテーブルに向かうのではなく、漫画に手を伸ばし、またソファーへ戻ってしまった。
 なんで。
 せっかく立ったのに、戻るかな。
 「ノコさん、6時です。もうできてるよ。お夕飯にしよう
 返事なし。
 大好きなTVは消せたのにな。
 「ノコさん、一緒に”いただきます”して食べようよ。ママ、お腹空いたよ」
 微動だにせず。
 「6時に美味しく食べられるように作ったんだからさ。熱いものは熱いうちに食べよう
 無視、無視、無視。
 漫画に集中して、聞こえていないのかな。
 少し声を大きく張って、ノコにいう。
 「ノーコーさーん、ママ、お腹空きました。一緒に食べようよ。ママ、いつまでたっても食べはじめられないよ!
 ノコがちらりと食卓についている私を見る。
 「先に食べれば」
 「ノコさん、パパみたいにお仕事でいないのならともかく、同じ屋根の下にいるときは一緒に食べよう。淋しいよ」

 心底渋々、嫌々といった様子でノコは椅子に座るが、下半身は正面ではなく横を向いている。腰をひねって上半身だけ前だが、”いただきます”もなく箸を取る。
 「いただきます、は?」
 もそもそノコの唇が動いたが、声にならない。献立を見渡すとため息をつく。
 「お餅焼いて海苔で食べたい」
 「お夕飯を食べて、まだ食べられるのならお餅焼くよ。まずはお夕飯を食べてください」
ノコは私をねめつけると、席を立ち、棚から海苔を出してくる。
 そして、左肘から先をテーブルにべったりつけたまま食べはじめる。
 「肘、つかないでね」
 そういえば、むっすと睨んで、左腕をだらんと下げる。食器に左手を添えるつもりはないと見える。

 1人で食べるのは淋しいといったものの、こんな状態の子を前にして食べるのなら、むしろ1人のほうがマシな気分になってきた。
 一緒に食事することに私がこだわり過ぎているのだろうか。もう少しゆるく構え、時間になっても食卓につかないのなら私1人でも食べはじめたほうがいいのだろうか
 食べたくなったら来る、そう思っていたほうがいいのだろうか。

 そのうち――遠くない未来――ノコも習い事や部活など予定が増え、一緒に食事をする機会は減ると思う。望もうが望むまいが、ひとりの食卓になる。
 だから、今からそうしてもいいのかもしれないが、「ひとり食事だった」のが「ひとり食事になる」のと、「家族そろって食べていた」のが「個々人の都合でひとり食事になる」のは違うように思う。
 いしずえとなる形を知った上でそれを柔軟に自分仕様に変えていくのと、そもそも礎の形を知らずに自分仕様にするのとでは、結果同じ形になるのだとしても私にはどうしても異なるように思う。
 ここで私が思う「」とは何ぞや。おそらく「家族」であり「家庭」だ。
 でも、これだって、所詮私のイメージの勝手な「家族」「家庭」像か。

 ノコは海苔でご飯を食べ終えるとサラダは食べたが、「お腹いっぱい」とランチョンマットごと麻婆豆腐を私に押しやった。
 ノコの「お腹いっぱい」は満腹ではなく、「これはもう食べない」という意味だと思ったほうが精神衛生上よい。言葉通り満腹だと思うと、その後次々と食べたいものをいいだすことがあり、さっきの言葉は何だったのかと戸惑う。
 「さっきさ、6時にピッとTV消せたのはよくできたな、と思ったよ。
その後、すぐ漫画読みだしちゃって、なかなかテーブルに来なかったのは漫画が楽しくなっちゃったの?」
 「……知らないし」
 食器を下げると、ノコはソファーに身を投げ、TVをつける。

 この後、お風呂も「入らない」とリモコンを握りしめて睨んだり、「18時夕食」「19時入浴」の流れが滞る。
 いっそ規則正しい生活なんて、ポイッしてノコの好きなように過ごさせたほうがいいのか。ノコが「ヤダヤダ」いう度に悩む。
 18時に夕食を用意し、19時に入浴できるよう湯を張り、あとは放置
 何もいわず、私は私のペースで動く。
 そのほうが家庭平和につながるのか。ノコも幸せなのか。

 あぁ、もう、わからーん!

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