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確かめられない過ぎたこと

#20230610-132

2023年6月10日(土)
 日が延びたとはいえ、夜の入口という夕闇のなか、2台の自転車がのろのろと行く。
 先頭はキッズ自転車のノコ(娘小4)。
 後方は電動アシスト付き自転車の私。
 ハンドルについたサイクルコンピューターが時速6kmキロメートルだと教えてくれる。冬の強い北風に向かって、川沿いの土手上を走ったときさえ、時速9kmだったことを思い出す。
 早足よりはほんの少しましか。

 習い事からの帰り道、はじめは私が先頭を走っていた。
 途中からノコの速度が落ち、振り返るとかなり距離が離れていた。慌てて足を止め、ノコを待った。
 ノコは何をいうでもなく、ふらふらとよろめきながら私を追い越していった。
 このままのペースで走られると、また距離があいてしまう。私はノコの背後にまわった。
 具合が悪いわけではなさそうだ。
 不機嫌さが顔を見なくても全身からあふれている。

 私はノコが急に止まっても衝突しない程度の車間距離を取って、ノコののろのろ走りについていく。
 どこにそんな不機嫌になる場面があった?
 思い巡らせると、裏路地から車が行き交う通りを渡る地点が浮かんだ。一時停止して左右を見ると、左から車が来ていた。だが、自転車が2台渡っても十分の距離だと思い、道を渡った。先頭が大きく目立つ私の自転車だったこともある。車の運転手も後続にキッズ自転車があることに気付けば、よりスピードをゆるめるだろう。
 渡り切ったときにノコが叫んだ。
 「今のダメでしょ! ママ、私がこういうとき渡ったら『止まって』っていうくせに! 大人がそれをしちゃダメだし!」

 怒鳴りまくるノコに億劫さが勝った。
 「渡れるだけの距離はあったよ。ちゃんと2人とも渡れたでしょ」
 ノコは納得がいかず、まだいっている。
 「車が行くの、待たなきゃダメだよ。自分のときばっかズルイ!
 ドライブレコーダーのように時間をさかのぼってその場面の映像を見ることができればいい。でも、そんなものは自転車についていない。
 いくらああだったから、こうだったから、と口でノコに説明しても納得しないだろう。
 ノコと過ぎたことについていい争うことがあるが、心底うんざりする。過去には戻れないのだから、お互い主張しても決着がつかない。私が間違えていたのなら謝るが、今回のような場合は過去の画像だけでなく距離も示せないと、安全または危険が伝わらない。

 私はその一言で説明が済んだと思い、そのまま自転車を走らせたが、ノコは不満でそこからのろのろ走りになったのだろう。
 ノコの機嫌を取るような言葉をかけるのも面倒で、私はノコと同様、時速6kmキロメートルで家に向かった。
 さっさと帰宅して、夕飯を食べ、お風呂に入り、このところ睡眠不足続きのノコを少しでも早く寝かせたかったが、それは親の気持ちであり、ノコの気持ちではない。

 そのままの速さを維持したまま帰宅。
 最低限の声掛けだけをして夕飯の支度はじめると、ノコが私が何もいわずとも動き出した。習い事先で出たゴミを捨て、食卓にランチョンマットを敷き、カトラリーを並べる。
 私の口数の少なさに何か「」を感じているのか、それとも自分で自分の機嫌を取ったのかわからない。
 過ぎたことでノコとああだった、こうだったといい争いになったとき、私は私の認識を伝えた上でノコにいう。
 「ノコさんは○○だと思ったのよね。でも、過ぎたことは確かめようがないからもうやめよう」
 過去のことでも確かめるべきときもあるとは思う。
 日常のささいなことの場合、どうするのがお互いおさまりがいいのだろう。

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