難病になってしまった父親と息子の野球を通じた友情を描いています ⑤

暗闇」

うぁー

夜中 父親の唸り声が 響く

俺はその度に 目を覚まし
父親と病気を1日でも変わってあげたいと
思っていた

朝 父親は記憶には 残っていなかったが
病気が進行する怖さから 唸り声をあげていたんだと思う

そんな、家庭環境のせいか
俺は 自律神経がおかしくなり
鬱にもなっていた

ある日 駅前で大学生達が
飲み会の後 帰らずに騒いでいた

その光景をみて 俺は

同世代は こうやって楽しんでんのか!

と びっくりした日があった 笑

光が届かないくらい 暗闇を
歩んできたのかもしれない

苦労は若いうちにした方がいいというが
そんな事は 思わない
人生は ずっと楽して生きていても
良い気がする
「ボートのおじさん」

四つ木のバッティングセンター近く
父親が タクシー運転手になる前に
車の整備士として働いていた
タクシー会社がある

子供のころ 父親の友達といえば
黒く汚れた つなぎを着たおじさん達だった

会社を辞めた後も
父親は会社に ちょくちょく顔を 出していた
会社に行く度に 父親は大量のインスンタントラーめん手土産に

まさに男の職場だ

子供時代 つなぎのおじさん達とよく遊んでもらった

駐車場にいる 鳩を仕掛けを作って掴まえたり

江戸川競艇場で 一緒に予想したり
俺の記憶には 父親とつなぎのみなさんに
予想を聞かれ 当てて
凄く褒められた記憶まである

競艇場の予想屋さんを 見上げている記憶もある

スナックにもよく連れていかれた
つまみで出される 金紙 銀紙に包まれたツナのやつも 好きだったし

パチンコ屋のヤンキー店員と鬼ごっこしたり

なんだこれ 子供の頃としては 酷い思い出だな!

良く言えば 昭和 今だと全部 コンプライアンスにとか言われそうだ 笑

ちなみに父親の友達から 電話がかかってくると
ボートのおじさんから電話だよと
行っていた俺

最近 好きな食べ物は 江戸川競艇場の
モツ煮丼なんだよね

まさか 自分がボートのおじさんになるとは 笑

でもね 父親の仏壇にお線香をあげるより
江戸川競艇場で どうしようもないおじさん達と
競艇をしている方が父親を感じれるんだよね 笑

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