本の声

5、6年くらい前にちょっと変わった読書会に参加した。大学のサークルをきっかけとして付き合いのある知人が、勉強会を勉強カフェでやってるみたいで、そうしたイベントの一環だった。清水幾太郎の「本はどう読むか」の目次と内容の重要なところを読んで、それから参加者で「本」や「読書」について語るというものだった。

僕にとっては、読書自体は個人的な趣味であり、自己探索の方法と思っているようなところがあるため、「読書会」と名のつくものに参加したことはないし、これからも無いと思う。だから、読書会というものに参加することこの時が初めてであった。

読書会ということではあったと思うが、テーマ自体が読書という入れ子の構造ではあるので、どちらかというと哲学対話と最近言われているものにもしかして近かったのでは、と今になって思う。各人の想いを語る穏やかな雰囲気であったように記憶している。

その対話の中で、「本を読む時の声」の話になった。どういうことかというと、本を読む時に心の中で声を出して読んでいるとか、そういう話だ。これが人によって様々であった。まず、声がある人とない人に分かれる。そして、声が「ある」人は、自分の声だったり、決まった声だったり、するということが分かった。そして僕だが、「それぞれの本の声」が聞こえる気がするのだ。これは何というか本の文体とか書き方の調子にあった声だ。

そして、一年くらい前に気づいたのだが、この「本の声」で本を選んでいる気がする。好きなタイプの本は好きな感じの声がする。比較的穏やかな男性の声とかが聞こえる。ちなみに、ほとんど小説は読まないのだが、先日読んだ夏目漱石の「草枕」からは画工のパートは男性だったし、那美の声は女性の声であったから、登場人物によって使い分けられるようなところはあると思う。

この声は取り出せないのが少しもどかしい。もしそんなことが色々な人に対してできたら、少し面白いかもしれない。でも、活用は自分の中で出来始めているし、こうして文章を書くときにも自分の「想像上の」声で書いてみたりしている、つもりだ。

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