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幸福日和 #057「記憶の引き出しを開けてゆく」

「記憶の引き出し」

一体何の事かと思うかもしれませんね。
それは、ごく身近にあるものたち。

たとえば、日常的に触れてきているもの。
大切にしている一本の万年筆だったり、
愛用しているマグカップだったり、
洋服や鞄、手帳、財布。

そうしたものは、
普段は便利な道具として使っているだけですが、知らないうちに持ち主の思い出を
刻んでいくもの。

頭の中の記憶は曖昧だけれど、
そうした身近なものを通じて、
「記憶の引き出し」を開いていくんです。

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僕はこうして、日々お話を綴らせてもらっていますが、もちろんその都度、話のテーマが思いつくわけではありません。

ある時は、手帳を紐解いたり、
過去のカレンダーを眺めたりしながら、
着想を得ていることが多いんです。

そんな中でも、
僕が大切にしているものは
「身近にあるもの」たちなんです。

そうしたものを目にした時、
自分とその物の関係に思い巡らせてみる。
すると、そのものを通じて、忘れかけていた大切な記憶を思い出すことができる。

人は立派な経験をしていなくても、
遠くに旅行に行かずとも、
自分の身近なものを通じて、
常に日常の物語を蓄えているものですから。

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ある時、茶人であった祖父に
一服の抹茶をいただいた時のことを
思い出しました。

その時使われていたお茶碗は、
江戸時代に作られた古い黒楽茶碗。
祖父はそうしたものを出し惜しみすることなく
日常的に使う人でした。

何年も伝えられた、その漆黒のお茶碗は、
時代を越えて色々な人の手に渡り、
様々な物語を蓄えながら祖父の元に伝わってきたものでした。

「一つのお茶碗にも、
色々な人の物語が込められているんだよ」

茶室でお茶を点ててもてなすことは、
道具に込められた、色々な思い出を引き出し、お客さんに語り繋いでいくことでもあるのだと、祖父に教えてもらった。

そしてまた、
そこに自分の物語として新しい思い出や記憶を込めていき、その道具を次に手にした誰かが数十年後、数百年後、同じように道具を通じて
「祖父の物語」をその時代の人々に
一服のお茶とともに語り継いでゆく。

なんて深い、
物との関わり方なのだろうと。

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そのことがあって以来、
自分の身近にあるものも同じように、
記憶や思い出といったものを蓄積しているのだと、僕も考えられるようになった。

そうした思いを、
日々大切にしてゆきたいと。

身の回りにある身近なものを
見渡してみる。

そうして「記憶の引き出し」を
時にそっと開いてみる。

あの時、何も感じなかった些細な思い出も、
今の自分に響いてくるかもしれません。

最後までお読みいただきありがとうございます。毎日時間を積み重ねながら、この場所から多くの人の毎日に影響を与えるものを発信できたらと。みなさんの良き日々を願って。