見出し画像

孤島の窓辺から #013「つながりたい時にだけ」

世界中をつないでいたものが
一度途切れると、
それだけで大混乱をきたすことがあります。


例えば、僕たちの生活を支えている通貨。
もともとはそれぞれの国で価値をもっていたけれど、
気がつけば、多くの国の通貨が「ドル」に紐ずけられて
すべての金銭的な価値が繋がってしまいました。

そうした中で、
世界の一部が立ちゆかなくなた時に
連鎖反応で経済が崩れてしまう現代でもあります。


また、一人の人間が、
一つのプラットフォームに依存するのも同じです。

たとえば、会社に依存しすぎるのもよくありません。
あくまで会社は仕組みであって、時に雇用の箱ですから、
会社の仕組みを利用するのであればいいけれど、
そこに過度につながりすぎてしまうと危険なことも。
会社という器を乗り越えて、たとえ繋がりを切っても、
個人としてどのような価値を提供できるのかということも
今の時代には考えるべきことだったりします。

過度な繋がりは
時に自分を苦しめてしまうことがあると思うんです。


✳︎ ✳︎ ✳︎ 


話はそれますが、
僕は日本で働いていた当時、
電話に出る方ではありませんでした。

メールも、大事なものだけを返信して、
あとは秘書に任せたり、
そのまま放置なんてことも日常的、、、、汗。


でも、今になって思うと、
本当に大事な知らせは、
必ずなんらかのの手段で届くものだったんです。
もう不思議なくらいに。

例えば、友人が緊急入院した時も、
会社で大クレームが起きた時も、
そんなマイペースな僕との繋がりとは
オフライン上の別のところで必ず繋がったものです。

ある大切な人の危篤を知った時、
僕は携帯電話の電源をオフにしていました。
(当時はスマホは存在していませんでしたから)
その時、喫茶店でのんびりと寛いでいましたが、
その大切な知らせを伝えてくれたのは、
なんとその喫茶店のおばあさんだったんですね。

周囲の人たちが、
僕の行きつけの喫茶店を知っていて、
あらゆる情報網を伝って僕のところに届けられた。

もちろん、
当時はLINEやグーグルもありません。

それでも、オフラインでも確実につながる、
人と人とのつながりがあったのだと、
今になって、改めて実感しています。

繋がっていなくても不安になることはない。

大切なことは然るべき時に
自然と繋がっていくものなのだと。


✳︎ ✳︎ ✳︎ 


繋がりというものは
もっと気楽なものでいい。

その繋がりが辛ければ、一度離れてみればいい、
寂しければ再び寄り添えばいい。

繋がりの糸に、
がんじがらめになってはいけません。

何のための繋がりなのか。
そこだけは見失わないように。

という事で、みなさん。

しばらく電源はオフにさせていただきます。笑



この記事が参加している募集

習慣にしていること

最後までお読みいただきありがとうございます。毎日時間を積み重ねながら、この場所から多くの人の毎日に影響を与えるものを発信できたらと。みなさんの良き日々を願って。