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幸福日和 #056「時代をこえて、同じ目線で」

皆さんには、
自分の憧れの存在や
素晴らしいと思える人はいますか?

そうした人物に心当たりがなくても、
学生の時、教科書の中で
「この人物は天才だ、偉い人なんですよ」と教えられた人であれば、何人かは思い当たるでしょう。

そうした感覚を、
一度リセットしてみてください。
彼らと同じ目線で向き合ってみるんです。

例えば、一つの芸術作品を鑑賞するにしても、「自分と同じ目線」で、
偉人や天才の作品に向き合ってみる。

天才だからそう描いたのだと考える前に、
どうして、このようなモチーフを、
このように描かなければいけなかったのかを考えるてみる。

そうすると作品の解釈をも超えて、
その作者の生き方そのものまで垣間見れるかもしれませんよ。

彼らが素晴らしいと言われている理由が、
技術や知識以上に、世の中をどう見たのかということに、目線を合わせることで気がつきます。

彼らも、皆さんと同じ人間です。
日常のありきたりのことに歓喜し、そして悲しみ、時に苦しんできた一人の存在だったのですから。

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僕は幼い頃に、
素朴な疑問を持っていたことがあります。

それは、
どうしてピカソやモネの絵画を見るのに
数千円の入館料を払わないといけないのかと。

もちろん、
大人なった今は理解できますよ。
そうした絵画は財団や美術館の資産として運用し、
施設の管理の為にお金を貰わないと運営できませんからね。
そこで働く人のお給料も払わないといけません。
分かっているんです。

でも、そうした値段での価値基準が、
彼らと同じ可能性を持っている僕たちとの間に
「過剰な壁」を作っているのではないか。
そんなことを考えていた時がありました。

人は何かの免許を与えられて、
秀才になるわけでもありません。
どこかで「天才授賞式」があって
天才になるけでもありません。

もちろん尊敬の思いを持ちながら、
才能ある彼らと向き合うことは大切ですが
必要以上に彼と自分たちの間に
壁を作ってしまうことはどうなのだろうと、、、。

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かつて、
ヨーロッパのある美術館に行った時のこと。

何百年も前に描かれた名絵画を前に、
それを鑑賞する子供達との距離の近さに
驚いたことがありました。

子供達でも、
少し手を伸ばせば作品に触れられるほどの距離。
その美術館では入場料が無料であるばかりか、
市民が触れられる距離に崇高な芸術を展示していたんですね。

思えば、日本国内どこへ行っても
「ガラス越し」でしか芸術を見た経験がなかった僕は、
一人の日本人として、彼らに嫉妬をしていました。

子供達が当たり前のように、
目の前の名作を一生懸命に模写しながら、
実物との違いを比べては、はしゃぎいで楽しむ姿。
中には、ある絵画の前に椅子を置いて、
何時間もその作品を眺めている老人もいました。

深遠なるものとの関係とは
本来、このように身近にあるべきものなのだな。
なんて素敵な関係なのだろうと感じた記憶があります。

天才と呼ばれる人々は、
たしかに特殊な存在なのかもしれません。
並々ならぬ努力をしてきた人々でもあります。

でも、だからといって、
僕らが彼らとの間に「距離」をつくる理由などないはず。

彼らは時代を超えて、その作品を通じて、
何かを伝えようとしているのですから。

普段「会いたい」と思った友達に気兼ねなく
いつでも逢いに行けるように、
少しだけ生まれた時代が違っただけの「大先輩」に、気軽に同じ目線で対話するほどの自由さが欲しい。


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もしかしたら彼らも、
僕たちに「天才」と呼ばれる現状に
窮屈さを感じているのかもしれませんよ。

お互いが目線を合わせれば、
教科書の知識や、図録の解説でも知ることのできない、もっと深くて大切なことを、彼らは語りかけてくれるかもしれません。

素晴らしいと思えるもの、
感動したことと出会ったら、
その隔たりを越えて、
作者と同じ目線で対話をしてみる。

そんな心の余裕が、
時には必要なのだと思うんです。

最後までお読みいただきありがとうございます。毎日時間を積み重ねながら、この場所から多くの人の毎日に影響を与えるものを発信できたらと。みなさんの良き日々を願って。