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心の滋養:「1人時間」で育てているもの

1人の時間が好きかはわからないのだが、必ず必要だと思っている。
大学生のときに、連夜サークルやクラスの仲間、果ては就活中に出会った他大生たちと飲み歩く友人を見ては、その精神の強さに感心していた。
今も変わらず、人付き合いに精力的でいられる人を見ると羨ましいと思う。

私は寝る前に「1人反省会」を開くタイプの人間だ。寝る前にはその日のうまくいったシーンと失敗したシーンがフラッシュバックする。
(今の職場ではうまくいったシーンが多いので、それが居心地の良さに直結していたりする。)
失敗したシーンは、実はベッドの上以外でも、いつ何時でもふとしたきっかけでフラッシュバックを起こす。仕事中もひとり苦い顔をしていることが多い。そのせいか後輩は怖がって近寄って来ない。寂しい。

例えば、取引先の人の厚意を自身の勘違いで無碍にしてしまった事などは、特にひどく蘇る。その人はとても良くしてくれたのに、勝手に気まずくなって疎遠になってしまったという結末もセットで、ずしんと心にくる。

自分の過失で人に迷惑を掛けてしまったシーンは長く忘れない。少なくとも1年間くらいは余裕で私の海馬に大きくスペースを取っている。

それくらい人付き合いに苦手意識のある私は、人と会う時間が多ければ多いほど、「1人になりたいゲージ」が溜まっていく。
次の休みが8回だとすれば、そのうち4回を超えればレッドゾーンに突入する。

身体はもちろんのこと心の疲れが顕著に出る。
そもそも人と会っていても、3時間ほどで限界になる事が多い。気を使い過ぎているのかもしれないが、それよりは私自身がとても自分勝手な性格で、他人に興味が持てないからという方が正確な気がする。

ただ、一方で会っている人の貴重な時間をもらっているわけなので、「双方にとって楽しい時間を提供したい」という気持ちも確かに存在する。
だからとにかく盛り上げなくちゃいけない。相手に楽しい気持ちになってもらわないといけない。という謎の強迫観念に囚われている。
だからこそ相手はたくさん笑ってくれて、また会いたいと思ってくれて、月の僅かな休みがあっという間に埋まっていく。……のだと、思う。
ただ、あくまでも「双方にとって」なので、あ〜つまらんなと限界を感じた時は、話の途中でも帰ったりする。
なので、普通に自分勝手だし性格めちゃ悪い。

さて、「1人になりたいゲージ」が溜まった時は、ゆっくりと昼過ぎに起きて、やりたかったことをやる。
ゲームでも読書でも近所のスタバでまったりでも、まとめサイトの閲覧でも、なんでも良くて、ただ、「最近やりたかったけどできてないな〜」ってことをやる。

1人時間の良いところは、誰の言葉にも左右されず、自分の価値観を育てられることだと思っている。

冒頭で、『1人の時間が好きかはわからない』と書いたのだが、その理由もここにあって、実は私色々言ってきたけれど、良くも悪くも他人の意見を取り入れたいと思う人間でもあるのだ。

譲れない部分もかなりあるので、勝手にふたつの意見の板挟みになって、疲弊してしまうという性分を持つ。
定期的に1人の時間を持つ事で、ようやく周りの意見の取捨選択を自分の価値観に沿って行う作業ができる。
いつからこんなに面倒臭い人間になってしまったんだろう。あと、断っておくと、人間分析は嫌いなんだ……。自分が型にはめて分析されるのがすごく嫌なので。人間は全員違うので、そんなもので人を理解した気になるなと言いたい。

私はその時良いな、と思ったものは受け入れるし、違う、と思ったものはアップデートしない。ただ、自分のなかにある「こういう人もいる図鑑」にストックしておく。法に触れない限り、人は自由で良いので、自分の人生に深く関わらない人がどんな意見を持っていても、のめり込まないようにしている。
アドバイスはしても、正しさの押し付けみたいなことはしないようにしている。自分もされたくないので。

でも、どーーーしても、ひとりでは煮詰まることはある。そういう時は、親しい友人たちの頭を借りるのだ。数少ない信頼のおける友人たちに感謝しかない。ちなみに全員ツイッターで出会った。ツイッターはすごいツールなので、これもいつか語りたい。
だから、1人の時間ばっかりはつらい。でも、1人の時間は絶対に必要。わがままな人間だ。

でもまぁ、私がやっぱりコミュ障だから、こんな面倒くさい生き方になっているのだと、書いていてしみじみ思った。
大学で一人も友達ができなかった話はまたの機会にさせてほしい。

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