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星野源のインスタ声明文を正確に読む

お世話様です、フラスコ飯店 店主の川合です。

今日は少し「しんどい」お話。

星野源(僕は彼のことをイニシャルで勝手にHGと呼んでいるので、以下HGとする)の「うちで踊ろう」が爆発的なネットミームになっていますね。

しかし、諸悪の根源――とまでは言わないまでも、この天災を大きな人災にまでオーバードライブさせた現政権のトップが、あろうことかこれに乗っかる。

賛否両論……というより否否累々の大騒ぎ。悪いことは重なるなあ。

なんだこれ、地獄か。「嘘で何が悪いか」なあんて言って開き直っていいのはHGだけで、アンタじゃないのよ。

その男のコラボ動画の公開を受け、同氏はインスタグラムで「NO」とアンサーを返しました。僕自身としては「HGの世界観やキャラクターを損なわないギリギリの範囲内で自らの主張を行間に込めた名文だなあ」と感心していたのですが、「星野源はまだ何も言っていないのと同じ。反体制的な視点から拡大解釈をして勝手に代弁させるな!」という声もいくつか見かけました。

それじゃあんまりだ。

いや、それは違う。そりゃHGの肩を借りて勝手なことを言うのは筋違いかもしれないけれど、たしかに彼は首を横に振っているのですから。気が狂いそうなのに、「普通さ」と耐えしのんで通常営業を装っているに違いない。

この記事では、「テクストを読む」という営みで生計を立てている人間として、彼の文章を僕が責任をもって精読していきます。

■ きょうのテクスト

まずは今回読む「教材」です。

ひとつだけ。

安倍晋三さんが上げられた "うちで踊ろう" の動画ですが、
これまで様々な動画をアップして下さっている
沢山の皆さんと同じ様に、
僕自身にも事務所自身にも
事前連絡や確認は、事後も含めて
一切ありません。



この画像、リポストやリツイート等して頂いて構いません🙂

(同氏のインスタグラムより引用。全文ママ)

さあ、はじめましょう。

うちで踊ろうは「 ”おうち” で踊ろうではなく、"うち" で踊ろう、なんです。」と自身のインスタストーリーで解説するほど「ことば」に真摯なお人です。

手癖で文章を書くはずがありません。細部にまで、胸の中にあるものがきっと反映されているはず。

まずは実直に ”書かれていること” に焦点をあてましょう。

「沢山の皆さんと同じ様に」

ここで自身との直接的な関りを否定します。プロパガンダに加担したのではなく貰い事故なのだという宣言です。

■ おさらい:「うちで踊ろう」とは?

HGが弾き語りをフリー素材として配布。僕たちはこの素材に別の音を「重ねて」新しい楽曲にしたり、踊りを「重ねて」新しい作品を作ることができる。メジャー・インディーを問わずして多くの人が彼の歌を換骨奪胎して新たな世界を再構築しました。みんなすごいね。表現って無限だ。

重要なのは、このように確認の有無発表するのは今回が初めてだということです。「例外」「想定外」であることが際立ちます。

無論、これまで行ってきたようなほかのアーティストへの謝辞はありません。

「一切ありません」の「一切」

一般的な連語表現ではありますが、「一切」というのは否定を強調する語です。

大きな大きな騒動です。きっと色々考えて、頭を悩ませながら慎重に書いたに違いありません。だからこそ文節や単語すべてにHGの意図が介在するのだと考えるべきです。

「安倍晋三さん」

この呼び方ですよ。長きにわたり政権の頂点の椅子に座る人物と「首相」という2文字は切り分けることができません。普通であれば「アベシュショー」と呼んでしまいそうなところを、ぐっとこらえてこの書き出し。

これが「政治的領域からの逃げ」なのか、あるいは「一国の首相として認めない」という反抗なのか。この文だけから読み取ることは不可能です。

しかし、「非常に政治的な局面に立っている」ということに極めて自覚的であることの表れです。(※こんなの当たり前かもしれないけれど、この記事では「当たり前の事実を当たり前のように集めていくこと」が目的です。ご了承ください。)

「リポストやリツイート等していただいて~」

あくまでも「構いません」という「許可」の形ですが、拡散の協力を仰いでいます。

「ひとつだけ」

個人的にはこの一言がすべてを物語っていると確信しています。

ここには収まりきらない様々な意見や逡巡があったことを示します。そう、つまりここに書かれていない事こそが重要なのです。「ひとつだけ」という5文字は、スポットライトの後ろにも役者が隠れているのだという叫びです。

■背景だってテクストのうち

おそらく、ここまでだけだと納得しない人がいらっしゃるようです。具体的に何も書いていないじゃないかと。なるほど、その気持ちも分かります。

それでは反対に、書かれていないことに着目してみましょう。

「ひとつだけ」の裏に隠れた行間を探します。ここからが本番です。

・なんのためにしている?

そもそも、なんのためにこのムーブメントがあるのか。考えてみましょう。

・アーティストとしての経歴

彼はいまや立派なメジャーアーティストですが、生まれながらにしてメジャーの空気を吸っているわけではありません。彼の経歴について、知らない人はwikipedia でいいのでざっと目を通してみてください。ライブハウスや劇場に休業補填がないことに何も思っていないわけがありません。ご実家だって自営業です。これだけの感受性を持った人が、鈍感に過ごしていられるわけありません。

・何も理解していない

そもそもあの男(およびその取り巻き)はHGとのコラボの意義をまったく理解していない。少なくともあの動画からはそのようにしか読めない。「何もしない」という類のユーモアは岡崎体育や大泉洋といった限られた人たちにしか許されません。「明らかにエンタメの側の人間」という前提がフリとして機能しているのですから。むしろこれでは「何もしない」ことが悪い意味での表象にすら解釈できるくらい。

ぴゃっと撮ってぴゃっと流した、というようにしか見えない。これは(発信する側の意図に関わらず)キャンペーンならびにエンタメそのものに対する冒涜行為です。

そもそもの序章がまずありえない。このような一連の出来事を背負ってあのインスタストーリーが更新されたということを考える必要があります。これは決して不可分です。

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まあ、なんでしょうね。

少なくとも僕は現政権とは到底、重なり合えそうにはないですね。炎や棒切れで革命を起こそうとは言いません。でもこの音楽で何かが始まればいいなと思います。

こんな文章に意味なんかないさ、と言われるかもしれませんが。もうここに暮らしなんかないじゃないか。

「何気ない日々は何気ないまま ゆっくりと僕らを殺す」

本日は以上になります。




以下、僕の好きだった曲を3つほど並べておきます。

怒るのはとっても大切だけれど、息抜きも大切。

HGはみんなの心を癒すためにこれを企画してくれたのですから。


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