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こんな小説の始まり方があってもいいんじゃないか。

 みなさんに今見てもらったのは、ある人から送られてきたビデオテープの解説である。ビデオテープは腰当てにするにはちょうどいい大きさの小包によって僕の住まいへと届けられた。小包にはビデオテープの他に、数十枚の彼特有のユーモアがちりばめられた原稿も入っていた。それ以外の余ったスペースはというと、これら重要な歴史的文化財を保護すべく丸めた新聞紙によって埋め尽くされていた(だから実際のところ、小包の大半の中身はこの球状の、今では湿気取りぐらいにしか役に立ちそうにない情報で占められていたとも言える)。 

 まず手始めに、小包が僕の家に送られてきた経緯について話すことにしよう。事の発端はこの玉手箱が僕の家に送られてきた数日前まで遡る。その日は久しぶりに彼、つまり小包を送って来た張本人と会話を交わそうと通信を試みた日だった。本を読むのにも飽きてちょっと口を動かしたいな、と思った時だったと僕は記憶している。幸運にも、たった二回招致をかけただけで彼と連絡が繋がった(彼は僕に連絡先を握られたメンバーの中で最も気まぐれで、最も用心深い者の一人だ。僕としては彼が相手をちゃんと選び、対応を相手ごとに使い分けていることを願うばかりである)。互いの声の識別が終わってから僕と彼がまず最初に取り組んだことは、互いの現在の状況について事務的な会話を交わすことだった。よくいう、最近どうしてた、というあれのことだ。確認するまでもなく、もちろん互いにまあまあの出来だった(そういう会話だけをしていれば、未来永劫僕たちの状況はまあまあだということになる)。

 それで済ましておけば何事も起こらなかったのだろうが、何かの流れで僕はある人物について焦点を当てた作品を現在進行形で書いている、と彼に口をすべらしてしまった。なぜだかはわからないが、彼と話すときはいつでも自分のことについて話したくなってしまうのだ(心にズシンときた本しかり。映画しかり)。話を聞いた際の彼の反応はというと、イタリアのミラノに建った現地人向けの日本食レストランがここ最近ものすごく盛況だ、という会話内容と同じくらいだった。つまりそのことについては興味が全くなさそうに僕には思えた。

 だが、実はそうでもなかったらしい。なぜなら話の冒頭に挙げた小包が彼と話をしてから数日後に、僕の倹しい住まいに送りつけられてきたからだ(文字通り送りつけられてきたのであり、僕には寝耳に水の話だった)。宅配業者をそのまま無下に送り返すわけにもいかないので、僕は荷物を受け取り部屋の中に招じ入れると、梱包されたのと逆の順序で蓋を開け――つまり縦方向に貼られたガムテープ三行、それと交差する形で横方向に貼られたガムテープ一行を引っぺがした――一日に必要とされる量をはるかに超えた情報を掻き出し、小包の中から彼が書いたであろう原稿を見つけだした。

 早速それを手にソファに戻って読んでみると、この手で掘り当てた厚さ一センチにも満たない原稿は僕が書きつつあった作品にある程度関与していることがわかった。これはある意味あからさまな要求である。つまり原稿という形をとっているからには、これは参考にすべく資料ではなくおそらく挿入しろという圧力、もしくは強要なのだ。僕はそのことについて彼に一言言おうと、スマートフォンを手にするところまでいった。だが握っただけで問い合わせることはしなかった。なぜなら僕が書きつつある作品の巻末にでも彼の原稿を添付しておけば少しは面白くなるのではないか、少なくとも僕の作品に対し補足的(相補的?)な役割を果たしてくれるのではないかという考えが、僕の頭にふと舞い降りてきたからである(彼が送って来た原稿は僕の書いている作品の中間の時期、僕の記憶が手薄の、言い換えれば穴だらけの時期に属していた)。

 都合がいいことに彼が送り付けてきた作品も僕の作品に似通って断片的であり、とてもホームビデオ的だったということもこの意見を後押しした(これは一つには最初からずらずらと全てを書く気が僕にはなかったからだし――読み手側に生き残りをかけた、つまりプルースト的な読書体験をさせる気は僕にはない――思い出した順に、どのエピソードをとっても礼遇することなく並置的に取り扱っていたからだ。僕の書いた作品にはもう何十年も前に起こったことや、数年前に起こったようなことまでが、まるでおもちゃ箱のようにごちゃまぜに詰め込まれている。またその配置について、整理整頓などの見栄えを気にした繕いは行っていない。だが人の記憶というものはひどく雑然としたものだ。少なくとも僕はそう考えている。昨日のことと子供時代のことは頭の中で並列的に置かれていて、そのエピソードに託された時間的スパンもとても信頼に足るものではない。昨日食べた薄皮のクロワッサンの舌触りと、数年間習い続けてきたエアロビクスが同じ時間感覚をもっていることもあるだろうし、化粧棚に置かれた毛抜きと口紅のどちらの方を先に買ったかなんて誰も覚えちゃいないだろう。だから各エピソードにおける時間配分や読みいいと目される順番いかんについてはこの際諦めてほしい)。

 それでも何かしら悪い点はあることには間違いない。まず物理的な側面についてだが、彼の原稿を挿入する分だけ、本が分厚くなってしまうのは免れ得ない。やはり今の時代、何についてもコンパクトになる方がいいから、これについては大きなマイナス点だ(中身の詰まったスリムさがこの世の全ての慣れの果てだ。ビル一つ分もする本なんて誰も欲しかない)。そして次に、いかんせん異なる人物が書いているものだから、注意が行き届かないところがどうしても出てきてしまった。これについても前もってお断りしておかなければならないだろう。読んでみたところ、彼の原稿には僕が主人公に据えている人物についてあからさまな言及が何一つとしてなされていないし、語ろうともしていない。
 

 もちろんどこかしらに、空中に浮かぶ塵のように見えないところでふわりふわりと浮かんではいるのだが、はっきりとした目で見える形で提示される箇所はない。彼の原稿では、〈男〉と称される人物が大まか話を引っ張っていくけども、この男というのが最初のうち誰のことを指しているのか、いかんせんわかりにくい。性別だけではあまりにも情報が少ないのだ。僕も最初のうちはわからず――僕であってもそうなのだ――半分ほど読み進めたところでやっと誰のことだかわかってきた。だから読み出し始める前にその男について僕が口出ししてしまってもいいのだが、やはりお節介はやめておく。皆さんにも僕と同じく、このサスペンス的な要素を味わっていただくことにしよう(まあ皆さんといっても最後まで目を通してくれた、気の長い方々に限られてしまうが)。最後に注意しておきたい点は、ところどころの記載が僕の記憶とすれ違っている、ということだ。この点についてはまぎらわしく思う方もおられるかもしれないが、それほど多くはないから時に応じて好きな方を採用してもらってよいと思う(わざわざ統一するほど大したものではなかったという裏もある)。

 他にも僕が見逃している点があるかもしれない。そんな、僕の目をすり抜けた悪鬼どもを見つけた際には、マーカーをつけたりはせず、どうか寛大な心で受け止めていただきたい。人間の記憶について過剰な要求はするべきではないし、ある場合には完璧さなんてどうでもよいことだからだ。つまるところ細かいところなんてどうでもいいのだ。そこにはある一つの了解が取り結ばれていればいい。真剣に語られたという了解が。ごたごたと前置きが長くなってしまったが、それでは早速始めることにしよう。

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