見出し画像

小栗旬と『ジョン王』とその日見た夢について

とある平日、体調を崩していつもより遅い時間に乗った小田急線の吊り広告には、彩の国シェイクスピア・シリーズ『ジョン王』の宣伝があった。主演は小栗旬で芸術監督は吉田鋼太郎。

そういえば、夫が小栗旬のファンだったな。それくらいの感覚でチケットを予約した。公開間近のチケット購入で、連番で空いている席はとても限られていた。『鎌倉殿の十三人』の主演を務めた小栗旬を、近くで見れるなんてラッキーだな、と電車の揺れに合わせて揺れるする広告をぼうっとながめながら思った。

2022年1月21日、渋谷Bunkamuraのシアターコクーンに、年始に買った新しい服に身を包んで訪れた。観劇のときって、なんでかおしゃれしたい気分になる。

パンフレットを買って、少し苦労して指定の席を見つけて、どんな舞台かしらと開演を待った。

そして開始のブザーが鳴る。すると、あっという間に、時間の流れを全く意識しないくらいのスピード感で、舞台は終わった。最初の感想は「ただただ、狂気を感じた」である。

舞台「ジョン王」に感じた狂気

舞台の始まりから衝撃だった。13世紀のイギリスを想像していたのに、最初に出てきたのは赤いパーカーにジーンズを履いた小栗旬である。生で見る小栗旬はスタイルが良いなぁ、脚が長いなぁと思っている場合ではない。

スマホで写真を撮っていたと思ったら、場面転換で当時のイギリスの王族衣装を着たジョン王とその母親が登場する。そして、ジョン王の前にひょっこり顔を出したのが、パーカーの格好そのままの小栗旬である。なんと、本作のメイン人物のひとり、私生児フィリップ・バスタードは赤いパーカーにジーンズ姿の小栗旬なのである。しかし、振る舞いは役柄そのもの。意味がわからない。

そして彼は、悪評高いジョン王の言動に左右されながらフランスとの戦争に巻き込まれていく。巻き込まれていく中で、赤いパーカーの上に当時のイギリス衣装を重ね着していく。第二幕のタイミングでは、完全に赤いパーカーの面影はなくなっていた。

しかも、要所要所でなんか上から人形が落ちてくる。字の通り人形がどさり、どさりと落ちてくるのである。割と大きくてそれなりに重量があるから、落ちてきたときの音に普通にびびる。そしてときどき、内蔵を想起させるような赤黒い物体も落ちてくる。舞台上に登場する人物は、その落ちてきた人形たちには気付いていないように足蹴する。

物語は、後継者争いをしたり、戦争をしかけたり、急に和解したり、結婚したり、と思ったら権威に唾を吐いて和解が反故になり、また戦争が始まったり、子どもをさらったり、絶望して豹変したり、裏切ったり、目を潰そうとしたり、命令したことを翻したり、高いところから落ちたり、裏切り者が寝返ったり、毒を盛られたりして進む。なにひとつとして、心休まるエピソードはなく、絶望特急地獄行きの列車にハイスピードで乗っている感覚である(そして、たまに上から人形が落ちてくる)。

何を言ってるか分からないかもしれないが、事実である。舞台が終わってすぐはなかなか感想を言語化できず、持て余した感情を地面に埋めて劇場を出た。そしてふらっと入った居酒屋で美味しい魚料理を食べて、ほろ酔い気分で家に帰った。そして寝る支度を整えてするっと布団に入った。

すると、とんでもない悪夢を見るのである。

その日見た夢について

人の夢ほど会話の種にもならなければ生産的な話にもならないと思うけれども、どうしても書かずにはいられないので許してほしい。

その夢で、私は仕事の取材で海沿いの豪華な別荘を訪れた。別荘の持ち主は芸人のおいでやす小田で、ガラス張りで海のよく見えるリビングで、彼の経歴について話を聞いていた(なぜ、おいでやす小田なのかは謎である。しかし、この夢の唯一の癒しポイントは、間違いなくおいでやす小田である)。

すると、外が騒がしい。窓の外を見ると、多くのドローンが海を越えてやってくる。大量のドローンが浮遊する景色はとても異様で、ただならぬ気配を伴っていた。おいでやす小田が窓のシャッターを閉めると、取材はそこまでになり、隙を見計らって会社に戻ることとなった(おいでやす小田の出番はここまでである)。

夢の中で私が務めている会社は現実と異なっていて、なんだか国の重要機関のようであった。エレベーターに乗り地下の最下層の部屋で、上司にこのことを報告すると、日本に危機が迫っているような口ぶりである。再びエレベーターに乗ろうとすると、乗る直前のタイミングでエレベーターは何者かの攻撃を受けて落下し、乗っていた何人かがどうなったのかは分からなかった。

夢の中の私は、家族に危険を伝えるため実家に戻る。すると、母がいて庭で何か作業をしている。庭には、幼稚園から大学生にかけての間に飼っていた、亡くなったはずの愛犬がいる。

母親に向かって、危ないから家の中に入ったほうが良いよと言うと、母は緊張感のない様子で大丈夫だよと答えた。私がはらはらとしていると、空の低いところからこちらに向かってたくさんの光の束、おそらくミサイルのようなものが飛んでくる。

何かに攻撃されていると気付いて、急いで母親を家の中に呼び戻す。ああ、おいでやす小田の別荘で見たドローンは、このための偵察機だったのだとなぜか理解する。

母は無事に家の中に避難したが、犬はまだ外だ。たくさんの光がこちらを目掛けて来る中、犬の首輪についたリードを外そうと躍起になるも、なかなか外れない。

目の前に光が迫ってくる。もう駄目かも、と思った瞬間に目が覚めた。

なんだこれ。めちゃくちゃ怖い。目覚めて10分くらいは、自分が見た夢に恐怖と驚愕した気持ちを抱えて起きることができなかった。

ただ、間違いなく言えることは、『ジョン王』の影響で見た夢だということ。そして、舞台を見終わってすぐには言語化できなかった感情の正体がなんとなくわかった気がした。

狂気の正体「私利私欲」と反戦

『ジョン王』では市政の人はほぼ登場せず、基本的に王族、貴族、兵士が登場する。市民が出てきたとしても、ある程度の地位にある人である。

そんな偉い人たちの決定、時には決定と言えやしないような、気分でころころ変わるような言動により、戦争の行末が左右される。繰り返すが、『ジョン王』では、市政の人々がほぼ登場しない。なので、それらの偉い人の心の変わりようによってどれくらいの人が犠牲になったのかは分からない。

しかし、夢で見て感じたのは、自分の意志とは関係なく死が目の前にやってくるーーそれこそ、問答無用で迫ってくる攻撃の恐怖である。いつの間にか、自分の知らないところで何かが始まっていて、いつの間にか自分に牙を向く。それって、とても恐ろしい。

間違いなく、舞台においてジョン王およびその周辺の諍いにより被害を被ったのは、毎日の日々を暮らす多くの人々だ。

劇中で、上からどさり、どさりと落ちてきた人たちは、そんな風にして戦争に巻き込まれた人を現していたように感じる。しかも、舞台上にそれらの人形はただひたすら無視されて物語は進む。

そして、そのように市政の人を無視して戦争を引き起こしたり、加担したりするのは、必ずしも王族だとかの身分が高い人たちばかりではない。

小栗旬が演じる私生児だって、元々は赤いパーカーを着た一般人である。それが王家に近付いたことにより、気付いたら戦争を率いているし、その動機として「私利私欲」があることを知っている。そして私が感じた一連の「狂気」はすべてこの「私利私欲」を発端にするものではないか。

「私利私欲」に関する一連の独白は、この舞台のなかでも印象的な場面のひとつである。そして劇のラストの仕掛けも、誰でもが戦争の加担者になりうるし、でも誰でもが戦争の被害者にもなりうることを示しているようだった(このラストはぜひ、劇場で体験してもらいたい)。

現在のウクライナ情勢を受けて、本作に改めて「反戦」の意味を込めたことは、ウェブサイトやパンフレットにも繰り返し触れられている。ただ、そのこと自体を多くは語らず、舞台装置として、鑑賞者の意識に深く根付くように、丁寧に作られて演出されているのだ。

いま、このタイミングでこの劇に出会えたことはとても意味があったし、劇中で伝えたい制作陣の想いも伝わり、それが悪夢となって現れたのではないか。

だからこそ、この感想を書かずにはいられなかった。これからの社会情勢がどうなるかは、一市民の私にはなかなか予測ができないし、そこに対して影響力があるかといえば、おそらくほとんどないだろう。

でも、この劇を通して感じた恐怖や狂気については、今後も一生忘れず向き合っていきたい。人が人に牙を向くような類の「私利私欲」が世の中からなくなることを願って。

この記事が参加している募集

#舞台感想

5,965件

#この経験に学べ

55,106件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?