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編集者プロフィール

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意識が変わった瞬間
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大阪生まれの50歳。
36歳から東京に住んでいます。
学生時代に京都で3年住んでいました。

家族は、奥様、長男、次男。

高校に入るまで(16歳まで)は、勉強も運動も人なみで、一生懸命なにかに打ち込んだこともなく、悶々とした日々を過ごしていました。中学3年の12月、たまたまテレビで大学ラグビーの早稲田大学VS明治大学を観戦。

実はこれが初めてのラグビー観戦で、今でもよく語られる「雪の早明戦」でした。日本ハム清宮選手のお父さんが早稲田大学で出場していました。

この試合を見終わったとき、雪の中、ジャージから白い湯気が沸き上がっている選手たちをみて「かっこいい、高校では絶対ラグビーやろう」って決意していました。

この決意が私の性格を180度変えることになろうとは、その時は知るよしもなかったです。無事、高校ラグビーの聖地「花園ラグビー場」から一番近い、大阪府立花園高校に入学しました。

高校のある東大阪市はラグビーの街なので中学からラグビー部があるのですが、私は少し離れた八尾市に住んでいて出身中学には、ラグビー部はもちろん、サッカー部もありませんでした。

まったくのド素人だったのが幸いして、府立高校でありながら、私が入部する5~6年前には大阪の春季大会で優勝するくらいの強豪校だったことや、中学時代に全国大会に出場し、大阪選抜に選ばれていたすごい連中がいたことも露知らず入部届を出しました。最初は1年生だけで35人くらいいたような記憶があります。

少し前に、「スクールウォーズ」というドラマが流行り、ラグビー部=やんちゃ集団が定着していました。ドラマ程ではなかったですが、私がこれまで接することのなかった人たちが多かったのも事実です。

ただ、それが私にはとても新鮮で、中学まではルールに縛られた世界で枠からはみ出さずに生きてきた性格を180度変えてくれました。

殻を破るという表現が一番合っていると思いますが、高校時代は、部活に打ち込むと共に、同学年で500人以上いましたが常に20番以内の学業成績もおさめることができ、今の奥様とも高校時代に出会い、17歳から交際スタート、昨年銀婚式を迎えました。私の高校時代は最初の人生の分岐点でした。

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学歴ロンダリング
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マネーロンダリングはみなさんご存じかと思います。悪いことして得たお金をきれいなお金に洗浄するという意味で使われます。

学歴ロンダリングとは、自分が出た大学よりもレベルの高い(偏差値の高い)大学院に進学し、最終学歴をよりよく見せるといった意味で用いられていました。

一般的に学歴を聞かれる場合は、最終学歴を聞かれるので、自身の経済的価値をあげる方法として注目されました。

私は、2005年4月に働きながら大学院に入学、2007年4月に卒業しています。「学歴ロンダリング」という書籍が出たのは2008年なので、少しだけ時代を先取りした形になりました。

今でこそ、社会人が働きながら大学院に通学するのは珍しくないことですが、当時は社会人を受け入れる大学院も少なく、卒業した後の転職活動では、「働きながら大学院を卒業したの? すごいですね」と、ほとんどの企業で言われたことを思い出します。

私自身、結果として学歴ロンダリングに成功しましたが、もちろんそれを目的として大学院に通学したわけではありません。大学院を受験しようと思った理由は、30歳の時に金融機関へ転職した際、自身の無知に気づいたからです。

「無知の知」

ソクラテスの名言とされていますが、「自分に知識がないことに気づいた者は、それに気づかない者よりも賢い」という意味だそうです。

大学までは親が学費を出してくれたので、初めて自分で稼いだお金を投資して学びました。そこではじめて心の中で親に詫びることになります。

あれだけの学費を投資してもらっていたのに全く勉強をしていなかったと。自分の稼いだお金を投資することで本気になれることをはじめて学びました。大学院へ通学した経験は人生で2度目の分岐点でした。

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ジブン手帳との出会い
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2011年にジブン手帳に出会います。ご存じの方も多いと思いますが、現在はコクヨから販売されている手帳です。私が手に取った当時は講談社が出していた記憶があります。

この手帳、3分冊になっていて、最初は全部使っていたのですが、現在この手帳で使っているのは、「LIFE」のみです。「LIFE」は一生使う手帳で、毎年買い替える必要もありません。

「LIFE」を手に取った時から、BUCKET LIST(死ぬまでにやりたいことリスト)を書きはじめました。BUCKET LIST歴は12年となります。

バケットリストプランナーとしての活動は、この手帳と出会ってなかったら多分できていなかったと思うので、この出会いも人生の分岐点だったように思います。

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BUCKET LIST
(死ぬまでにやりたい100のリスト)
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私がBUCKET LISTを勧める理由は、書くことで自分の「得意なこと」が明確に見えてくるからです。多くの人が、生活の安定を求めています。生活を安定させるのに必要なものは、「お金」です。

正社員という立場は毎月給与が決まった日に振り込まれるので、生活は安定します。会社員の立場で自由にやりたいことができていたら多分副業しようなんて考えないと思いますが、現実はそうではないですよね。

BUCKET LISTには、やりたいことを書いていきます。それを実行していくのですが、実行して終わりの項目もたくさんあります。

私は、何年も前に「セールスライターを極める」と書いていました。

これまで私の本業は「話す」仕事で、私の中で自信を持っているスキルです。「書くこと」はいつかやりたいと思っていましたが、どうやってやったらよいのかもわからず実行できないまま時間だけが過ぎていました。

昨年50歳になり、「私の天命は何か? 」とBUCKET LISTを見返し、子供にかかる教育費も終了したこともあり、何か極めたいという気持ちになりました。そこで何年も前に書いていた「セールスライターを極める」が目に入ったのです。

普通の人だったらこの時点で本を買い、無料動画や有料動画で勉強されると思うのですが、私はいきなりランサーズに登録しダメもとで提案してみました。無謀なように見えますが、いきなりアウトプットしてみたのです。

理由は素人でも見てもらえるチャンスがあるなら今のレベルが測れるからです。100件出してみて1件も引っかからなければきっと明らかに実力不足なので 「1から勉強するか」「あきらめて他のやりたいことにするか」 どちらかの選択肢を選ぶことができます。インプットから入るといつまでたっても選択肢までたどり着きません。

ここで予想外の出来事がおこりました。ある会社のセールスライティングに提案したところ、社長から「最近はどのライターもSEO対策に特化した勉強しかされていないのか、どれも同じで刺さらない。だいごさんの提案は今まで見てきた中で一番センスある」ってほめてもらえたのです。

もちろん採用され、登録から3か月も経たないうちに認定ランサーとなりました。すごくうれしかったのですが、セールスライターを名乗っておきながらSEO対策についての勉強すらしていなかったのでここで初めて「インプットしないとヤバい」という私のやる気スイッチが入りました。

結果論ではあるのですが、BUCKET LISTに書いていなかったら思い出すこともなく消え去っていたでしょうし、インプットから入っていたら私の性格上続いていなかった可能性が高いです。理由は投資しても回収できる見込みがわからなかったからです。

そもそも、私は「話す」ことを本業にしてきたので、「話す」ことは得意だし、スキルがあると自信を持っています。

最初、私が得意なことをアウトプットするのはYouTubeだと思い、動画を撮影し、編集もチャレンジしてみました。

見事に、挫折…時間もない、こまかい作業も苦手、他の人にお金払って編集お願いしても回収できる見込みがあるかどうかもわからない、それ以上進めなかったのです。

私の「書くこと」がお金になるなんて全く思っていなかったのですが、アウトプットしたことで、社長の目にとまりました。

他の人と違ってセンスあると言ってもらえたことは、自分ではわからない「得意なこと」もあるんだという大きな気づきを得ることができました。

だったらそれを伸ばしていこうと考えるのは、皆さんも同じだと思います。そこに投資するお金以上に回収できる見込みも見えているので即決できますよね。

過去に「やりたいことをみつけよう」「やりたいことをリストアップしよう」という記事やアプリ、セミナーや勉強会も私自身が興味あったので読んだり、試したり、参加したりしました。

でも結局のところそのリストを実行するまでサポートしているのは、どこもありませんでした。それであれば、経験だけは豊富な私がやってみようということでスタートしています。

今は参加したいという有志だけが集まり月1回のオンラインMTGを開催しているだけですが、SNSやnote、オンラインサロン等々で広めていきたいのが今の私の夢です。

その発信のためにまず「書く力」を伸ばしたい。そんな思いではじめてのnote書いてみました。

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